何故酒飲みの自己弁護は受け入れられるのか?

結論から言ってしまえば、男社会の仁義。

 今回これを書こうと思ったのは、苫小牧市長の件が報道されたからである。

 曰く「酒を飲んでカラオケを歌いながら、女性のお尻を撫で回していたと、その際、見ながら触ってはいないので、女性の大事なところまでは触ったかどうかわからない。」

 自分も酒を飲むし、キャバクラのような店に行く、で、そう言った状況になった場合(両者の合意の上で女性の体に触れること)、それは明らかに故意で行っている。ハッキリしているのはその行為を行っている時であり、それ以外のことは覚えていないものである。

 男から言えば、こんなの解ってやっているに決まっているだろうと。いくら酩酊状態だったとして、触る時は意識して触っている。しかし、酔いがさめた時は、その時の状況がうろ覚えである事があるだけなのだ。

 記憶が無ければ許してもらえると思うのは、人間の浅はかな知恵である。それで、政治家は罪に問われることは無い。

 しかし、事実は厳然と存在する。逆に言えば、男らしくない。言い訳するなと言いたいのである。ただ、男社会の男は、自分の胸に手をあて、いざ自分がそう言った状況に陥った時、なんて言い訳したら良いのだろうと思っているのだ。そう言った経験が御有りの男性が庇うのが「酒に酔っていたのだからしょうがない。」という論理なのである。

 反省・・・。