管理教育プラス点数主義

学校教育の崩壊が言われて久しいが、今回の必修科目の問題や生徒の自殺の問題など表出したそもそもの原因はどこにあるのだろうか。

 教育は、文部科学省、教育委員会、校長、教頭、教師、親、全てが関わってくる。そしてその系列にいる人間の多くは、管理教育、点数主義により選別されて生き延びた人たちである。

 それが全てではないが、少なからずその訓練を受けてドロップアウトしたような人は管理者にはなれないわけで、ある意味選別された人たちが教育を行ったり、指導したりしているのである。

 その意味するところは、自分たちが受けてきた教育の全肯定である。受験競争は、全なるもので、良い高校、大学に行くことが全てである。そして全ての評価は、何点、何点と点数で評価される世界。

 決して加点主義ではない。全ての行為は、減点主義に基づいて評価される。一つのミスは、マイナスポイントである。
 
 そんな中で出てきた今回の事件は、いい年をした、今まで教育者として生きてきた人の視線が、子供たちに対してではなく、上の管理する側に対して向けられたものだというのが情けないことである。

 長年評価され続けてきたことが、この年になっても評価してもらうことになれ、評価の対象外のことには極力無関心を装う教育者たちを育ててきたのである。

 教育基本法が改正されるらしいが、もし理想の教育を行うのだったら、今の教育に携わる人たちを全て残さず入れ替えなければ達成は無理だろう。
 また、その同じ器で教育を行えばどこかにほころびが出るか、それともまた点数主義に変換されまた別なものが飛び出してくる可能性が高い。

 以前、社会人の管理者が登用されたが今はその活躍の噂は聞こえてこない。
 少しの刺激では変わりようが無かったということだろう。一層のこと、3分の1程度を入れ替えてしまったらどうだろうか、社会人とのトレードである。それくらい入れ替えて化学反応を起こさないと教育の基本的な部分の変化は期待できないと思う。