徒然なるままに

昔、兼好法師が書いた「徒然草」でだしは、たしか「徒然なるままに日くらし、硯にむかひて」であったはず。

 まさしくBLOGを兼好法師は書いていたのである。その内容も確か噂話とか、実際に起きた事件の経験談のようなものであったと思う。

 自分も最近はほぼ毎日、記事をアップしているが、日課にすれば何となく毎日書けるものである。ただし内容は、伴っておらず、間違っても未来に古文として採用される事は無いだろう。別に未来永劫読まれるために期待して書いているわけでもないので良いのだが、兼好法師も、自分の書いたものが、700年後の日本で読まれているなどとは露知らずのことだろう。

 それにしても世の中何か情報を得ようとすれば、自分が消化しきれないような情報が得られるものと、探しても探してもあたかも霞の存在のような情報もある。
 情報の量と質は全く持って別のものであるが、それを如何に消化しそれを自分の物としていくかはその人の中にある才能によって変るものと思う。

 それをここに披露しているわけだが、それが今の自分の「知」だとしたら、誠に浅い底が透けて見えるようなもんである。

 「徒然草」のでだしの続きは、
「・・・心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。 」

 これを書いている自分も、あやしい。