技術立国日本は既に滅んでしまった

技術国家日本が、世界を席巻し今日の繁栄をもたらしたのは事実であった。更にその技術の担い手は、今の団塊の世代以前の世代である。
 戦中を生きた世代は、世界の中の日本を見ていた。自分たちが世界に打って出て輝くことを夢見ていたはずだ。また現在の様にライバルは多くなかった。

 その後生まれた世代は、何も考える必要が無かった。その時代の流れに乗り生きて行くだけで良かったのだ。既にレールは敷かれその上をスピードを上げて走れば。

 その反動が、「自由」という言葉だったのかもしれない。その敷かれたレールから如何にドロップアウトし、その「自由」と名の付く世界を求めればカッコイイ生き方だったからだ。そして、その世代が主導権を握り始めると、「自由」とは自分たちの支配権を奪うことに気づいた。
 如何にして自分たちより下の世代を自分たちの都合の良いように扱うかを考え始めたのかもしれない。それは、自分たちが求めた「自由」を奪い決められた枠に押し込めようとしたことである。そして自分たちが受けてきた教育をも否定し、無意識のうちに下の世代を混乱させてきたのである。

 既に土台はボロボロである。今の日本に新しい技術を作り出す能力は無いに等しい。更にそれを難しくしているのは、世界の多くの国が力をつけてきたこともある。更にインターネットの力は、人を空想の産業を育てる方向へ向かわせた。
 限られた能力を、仮想の夢の世界を作るために注いできたのである。夢は多少の現実を生むかもしれないが、多くは消えてしまうものである。仮想の世界で多くの物を生み出したとしても実物を手に入れることはできないのである。

 また、経済の発展は、技術者をカッコワルイものに変えてしまった。毎日、夜遅くまで何かを作り出す仕事が格好悪く、着飾り香水を撒き散らすものがカッコヨイとされたのである。
 多くの若者はカッコヨイものを目指し始めた。それは、人々に見る娯楽を与えた。TVやスポーツ。自分がなれない者を演じる若者に憧れ、それが仮想現実でもあった。
 
 今の日本に既に、新しいものを次から次へと生み出す能力は費えてしまった。もうその基盤は無いと言っても良い。それを生み育ててきたのは今の日本人である。

 今話題の「野球特待制度」に代表される、スポーツエリート養成制度は間違いである。それがあるばかりに若者に間違った夢を見させてしまう。スポーツを行うものがすべてエリートにはなれないのだ。今の制度は、あきらめるチャンスを奪っている。これ以上「野球バカ」を育ててどうしようと言うのだ?プロ野球が栄えてもその土台の国が滅びていくことが本当に正しいのか?

 既に、戦後の繁栄で得た貯金を吐き出し始めている。いつか底をつくだろう。そのとき日本は世界のどの位置にいるのだろうか?それでも日本人は日本人として生きて行けるのだろうか?

 


 仮想の世界から有は生まれない。きっと何時かは自分が得たものに実体が無いことに気付き夢から覚めるのだろう。
 電気仕掛けの羊は、その力を失い、柵を飛び越えられずに動きを止めてしまうのだ。