このながら書のblogも、何か勢いで書いている部分がある。いわゆる書きっぱなしで、更に推敲もしないという、誠にお粗末なものである。今年は少し進歩するようにしたいと思う。
人の世の尺度(ものの見方)は世に連れ人につれ時代と共に変っていく。それが正しいとか正しくないかはその時代の雰囲気に合わさっていくものだと思う。例えば20年前の自分と今の自分の考え方が同じだとはとても言えない。
かえって20年前の考えを一貫して変えていないとしたら余程の頑固者かはたまた変人であろう。
例えば、最近の話題で政治家の「事務所経費」がある。
今からずっと昔、政治家は雲の上の存在に近かった。それが変り始めたのは、20年くらい前だったのかもしれない。TVに登場し始めたのもこの頃からかもしれない。それから現在に至ると、そこいらのオヤジに毛の生えた存在でしかなくなってしまった。
何のカリスマ性も無く、やっていることといったら、国民のためというより、自分が次の選挙に当選するための準備を永遠に続けているようなものである。政治家本来の目的である、国民の公僕の意識はどこかに消し飛んでいる。
どうしてこれを許す雰囲気になってきたかというと、昔は、政治家は特権階級の証であった。昔の貴族院などはその典型で、自分が金持ちで他にする事が無いという階級の人が趣味で政治を行っていた。そして庶民は、政治家は尊敬に値する人だと認識していた。
しかし、時代は変り、政治家になろうと言う気持ちがありさえすれば、村の議員から国会議員まで立候補する事は可能になり。本当にこの人に政治を任せて良いのというものまで政治家になる人が増えてきた。国民にとって自分達の暮らしが良くなったために、かえって政治に無関心になってしまったのである。
するとどうだろう。今では政治家は、一つの職業になってしまった。生涯続けるには、何年か毎に選挙で選ばれればならない少しつらい職業である。
これなら一層、無作為抽出で毎年国民の中から選んだほうがましなくらいである。
この政治家に関わらず、世の中尊敬に値する職業の価値が下がってきている。政治家然り、弁護士、医者、知事、市長、昔なら職業を聞いて尊敬の念を抱いたものだが、色々な不祥事が続くたびにその尊敬の度合いは下がり続ける。
全ての人がそう言うのではないのは理解しているがこれは信頼の問題であるので、逆に卑下される職業になって欲しくない。
しかし、既に国民は、見る目を変え、それが特別な存在ではないという認識でいる。それに合わせ自分達は特別な存在ではなく、尊敬されなくても良いのだというように考えて欲しくは無い。
国民のレベルに合わせ政治家が存在するのだとしたら、日本はどうなというのが結論である。