脱車社会への取り組み

文明の利器として、世界で自動車が発明されて約250年程度経ち、トヨタが2兆円の売り上げを得るまでになった。その間、世界中で多くの車が生産され、日本でも多くの車が道路を走っている。

 そして当然、車による交通事故死者もH18年でも6千人以上の方が命を失い、さらにそれに隠れた傷害者数は何倍にも登ると思われる。
 それに対して国は、シートベルト装着義務などで運転者の人命は守る方策を採って来たが、歩行者に対する安全を高める手段は採られてきたとは言い難い。
 
 道路は、拡幅されどんどん車のスピードは上がり、制限速度は有って無き様なものになり、更に郊外の道路は整備され砂利道がアスファルトに変わって行く。しかし、道は車にとって走りやすくなったため、迂回路に利用され、今まで車が通らなかった道をスピードを上げて走っていく。
 しかし、その道路は以前と同様歩行者のためにとは考えられていないため、歩いている人のすれすれを猛スピードで通り過ぎるようになり、砂利道の昔より歩行者に危険が却って大きくなってしまった。

 道路を作り、車が走りやすくなったことで、生活の便利さが増したとともに、それがかえって歩行者の安全を脅かすようになる。これは正しいことなのだろうか。

 運転免許を取るとき、歩行者が通行しているときは、安全な距離を取れなければ徐行しろと習ったはずである。信号機の無い横断歩道に渡ろうとする歩行者が居る場合、一時停止をしろと習ったはずである。
 しかし、それさえもハンドルを握った運転者は忘れている。まるで車に乗った人が歩行者を見下すように運転しているのだ。車優先の社会に何時の間にかなってしまったのだ。

 特定財源の道路税に対して他の用途が考えられているようだが、歩行者の安全対策。更に言えば、脱車社会の方策を考えるときにきているのではないだろうか。
 確かに車産業は、日本の基幹産業である。これなくして日本の繁栄は無かったといって良い。それを犠牲にする勇気は今の日本政府には無いだろう。脱車社会と言うことは、日本を支えてきた土台を一本失うことになるからである。

 しかし、今、韓国や中国の自動車会社が台頭し始めてきている後50年もすれば、自動車産業の再編も今以上に進んでいる可能性がある。更に石油などの資源、CO2などの環境問題、すべて車に関する問題がこの先深刻になると思われる。その前に、日本は、脱車社会の先導役を果たすノウハウを身に着けて、それを日本の活力にするべきでは無いだろうか。

 痛ましい事故も昨日起きている。
 青信号を横断している子供に、それを無視して突っ込んでくる車を避けるすべはあっただろうか?
 
 明日はわが身と考える時期が来ているのではないだろうか?