自然

毎日余りためにならないことばかり書いてはいるが、更に読むに耐えない文章を書いているときが往々にしてある。本当に書きなぐりである。書いた後、何回か読み直し書き直しをすればよいのだが、時間的な制約があり何ともしがたい。

 書くことを本業或いは、生まれながらにして才能が有る人の文章は起承転結がはっきりしていて読みやすい。(たまには何を書いているのか判らないことが有る場合があるので、そういう人たちでも不調な時があることを知ってうれしくなることもある。)

 もうかれこれ7000以上の記事を書いているのだが、余り進歩をしていない文章を読むにつれ自分の才能の無さをつくづく実感する。

 最近の自然災害を見るにつけ、われわれ人類は、地球上に何をするために生まれてきたのか目的を見失うことがある。
 私達が毎日生き、仕事をしているのは、究極的には人類の繁栄のためであろう。また身近な目的としては、自分や家族はたまた仲間が幸せな生活を送るためであろう。

 しかし、自然はその営みを容易く無にしてしまう。今まで築き上げた家や一緒に暮らしていた家族を砂上の楼閣のようにキレイさっぱりもとの砂に戻してしまうように無にしてしまう。

 そこには、自分が20年30年努力してきた結果をあたかも何も無かったかのように消し去る神に似た存在があるのだ。

 もし神様がいて自然災害は神様の天罰だとしたら、地球上に人類を繁栄させるのを好まない意思があるのかもしれない。更に言えば、自然そのものより人間同士が殺し合い、自分達で自滅しているようにも感ずる。

 人間は月に行き、火星に探査衛星を飛ばした。しかし、まだ地球と言う活動の場から抜け出すことは出来ていない。もし、人類が他の惑星に飛び出すときが来れば自然の呪縛から逃れることが出来るのだろうか?それとも、人類はこのまま地球上で絶滅してしまうのか?
 
 その時を知ることが出来ないことが幸せなのかもしれない。