汚泥

今回の守屋元次官の犯罪について思うのは、権力を持つものは腐敗するということである。普通はそうでないと思われるかもしれないが、やはり権力は魔物かもしれない。それに効しきれた人は稀有の存在だろう。

 権力があれば周りがほおって置かない。今まで付き合いの無い人まで近づき、どこかに出れば丁寧な持て成しを受ける。それが続けばそれが当たり前のように思うのが人間である。
 自分もその中の一人であると思うが、もし見知らぬところに行き、ぞんざいな扱いを受ければ自分はそんな人間ではないと気分を害するだろう。そして、権力を欲しがる人間はそれを防ぐために自分を丁重に持て成してくれる側近を傍に置きたがる。そんな人間が多すぎるし、それが権力を持ったものの振る舞いであると納得していたかもしれない。

 そしてそういった上を持った組織はどうなるか?多くは、内部に膿を溜め込み始める。そして権力を持ったものはそう振舞うのが当然と感じるようにその取り巻きも下にそう振舞い始める。
 そして権力に従うものとそれに反発するものに分かれ始め、内部抗争が始まる。その一番のものが跡目争いということになるのだろう。まるで戦国時代のようでもある。それが生まれながらの人間の性だろう。

 ではどうすればその淀みを無くせるのか。
 
 もし上に立つものがその権力の働きを理解し取り巻きを寄せ付けなければその上が居る限り安泰だろう。しかしそれを怠れば次は育たない。
 後は、組織を絶えず変えることである。変化しない組織は、動きを止めてしまう。変えた直ぐはどうしても仕事が滞るが、能力があれば元に戻るどころか、劇的な変化を遂げることができるだろう。
 後は、後身をどう育てるか、権力者の陥りがちな点はそこである。どうしても自分の身内を後釜にすえたがる。それが良い悪いではなくメガネが曇ってしまう。

 それにしても、今回の出来事は、淀んだ水の自浄作用と言うべきものだ。それが機能したということだろう。しかし、この淀みはいたるところにあり何時でも淀もうとする。如何に淀む隙を与えないように川の流れを早くするかが今回の出来事の解決策になるのだろう。