「腐」の一年

自分の私生活では、激動の一年だった、そして日本も激動の一年だったと続きを書こうと思ったが、日本の場合、自分で勝手に転んでしまっただけという寂しい結果だった。

 まず何が一番恥ずかしいかというと、某総理大臣の辞任の仕方である。情けなさを前面に押し出した会見は、と思ったがこれも既に忘却の彼方へ行ってしまっている。
 しかし、この人を後継指名した元のライオン髪の人も、その責任の一端はあるはず。しかし、能天気なこの人の頭の中に某氏はもう存在していないのだろう。

 しかしこのラ氏の行った政治の成果が着々と実りつつあるこの頃、徐々に格差社会が広がったことが一番の点である。もしかしたらバブル崩壊から景気の回復をしたはずなのに根本から何かが狂いだしてきていると思う。

 さらにこの原因も、次の代が先代の余波を諸被りしたことにある。先代はある恐喝に近い方法で、政治家、官僚を操っていたが、その手法を持たない後継者に対して反動はすごかった。ある意味頭を押さえつけられていた重石が取れた開放感から好き勝手に物事をやり始めた結果だろう。

 そしてフフンさんにタナボタのように降りてきた椅子だったが、フフンさんはその椅子がもともと嫌いだったらしい。まるで人事である。やはりこの人もボンボンで回りと協調してとか自分で進んで行動するとかしない人なのだろう。いうなればレールがなければ一人で動けない人だったということである。
 一見物腰、話し方などは、有能な人なのだが、いざ修羅場に出くわすと逃げ出すタイプだったということである。

 戦後、いろいろな政治家がでてきた。それぞれ一面で有能さを見せていた。それもそのはず、戦争で死なない知恵が少なくともあった人たちだから当然である。
 それに比べて今の政治家は篩いに掛けられていない。そのため修羅場を潜り抜けて幾多の危機を自分の力で乗り越えてきた政治家はいるのかというと、殆どが親の地盤の選挙区から、周りに担がれて当選してきた人間が大半である。

 そして、地盤を持たないで当選し大臣の椅子に座った人たちは、マスコミ、TVなどで評論家として活躍してきた人ばかりである。その人たちは、TVの中では偉そうにしゃべっていたはずなのに、実際自分にお鉢が回ってきたらとんだ食わせ物だということが良くわかる結果となった。

 いろいろな意味で、政治家に失望感を味わった一年だった。そして上がその程度なら、それに仕える官僚も一緒。自分たちの省益優先で、国民の目線に立った政策がない。自己満足。政策実行力ゼロ。あるのは規制と自分たちが持った権力を使いたいがための行為に過ぎない。

 一言で言うと「腐」。あとボンボンには政治はできない。

それこそほかの国ならクーデターが起こっても不思議ではない。

 このままでは、権謀術策に秀でた、China、Russiaの属国になってしまう可能性もある。その点日本は島国だから得をしている。これが陸続きなら、とっくに消滅していただろう。
 そうならないためにどうするか、現実を見つめた政治家が必要になるだろう。