自己矛盾との戦い

今年ほど、年の初めにTVや新聞で年明けの番組で「環境問題」が報道されたのは珍しいのではないだろうか。

 しかし、ここに大きな自己矛盾をはらんだ状況になっていることにそこに携わる人は気付いていないのだろうか?

 マスコミが環境問題を報道しながら、広告、CM、そして番組、記事などで自主規制を行う必要がありながら、自分たちがその問題に対してどのような行動をとっているか不明である。
 例えばTVなら、全ての番組の中で環境に問題のある内容はしてはいけないし、環境問題に何らかの努力をしていない企業のCMや広告は自粛しなければならないが、そのようなことをしている素振りはない。
 
 環境問題に一番重要な自動車などのCMは、走りの性能や速度が強調されており少なくとも環境問題に貢献しているようには見えない。
 さらに重要なエネルギーである、石油にしても、消費者に購買意欲を目的としたイメージを押し付けているようにしか見えない。
 
 さらに言えば、電力会社にしても、本当は、精力的に自然エネルギーの普及に努めなくてはいけないはずなのに、その努力の幅は小さく後退しているようにも見える。うがった見方をすれば、国が以前補助事業として行っていた家庭内太陽電池パネルの設地に対する補助も、これ以上家庭に太陽電池パネルが普及すれば電力会社のシェアーが奪われてしまうため、国に働きかけて補助事業を辞めさせた結果だともいえる。
 
 そして、自動車業界の動きも、今トヨタに代表されるように、日本の重要な輸出製品である自動車販売を減らさないようにするために、他国に対して他の輸送手段の普及を進めていないように見える。

 これは、ここの人間にも言える、自分たちが置かれた立場を維持するためにどれだけのエネルギーが消費され、さらに食料が浪費されているかを感づきながら、もっとそれを消費しようとしている。

 実を言えば、医療もそうである。人間の寿命を伸ばすため、医療資源を使い倒しているのである。もし世界中の人が、日本と同じような医療水準を維持しようとすれば、途方もない金額が必要だろう。
 こそっと言えば、医療は、余り進歩していない。助かる人の影で多くの人の命が失われながら新しい医療技術が開発され、薬が生まれる。そして、医者の医療技術は、さほど進歩していないのも事実である。それは、厳しい選抜が医師の中で起きていないからである。相対的なレベルで言っても医師の技術は進歩していない。

 巨大な自己矛盾に時には戦い、時には流されながら世界は動いている。環境問題は、もしかしたら何もしないで放っておくことが一番の解決方法かもしれない。なぜならこの問題、人類の人口が増えすぎたため起きた問題だからである。
 このまま環境が悪化し、気候変動が激しくなり大きな災害が起き、海面が上昇することで陸地が減り人間が生活できないようになれば自然と解決することだからである。

 その解決方法を選ばず、人間の力で解決しようなどということは、人間の傲慢のなせる業ともいえる。