景気対策

急激に朝晩冷え込む毎日である。今日も空は曇り、全天を覆っている。徐々に秋が北海道を覆ってきた感じである。北京オリンピックが終わり、喧騒が一段落した後の今日であるが、お祭り騒ぎのあとの日本のTVは、その余波を受け、後片付け状態な報道ばかりである。しかし、今の日本の状況は、この後起こるであろう世界情勢の変動に、手を打つ術も無く立ち尽くすままのようである。福田内閣の組閣メンバー誰だったか国民も忘れ始めている。一部の大臣はそれでも取り上げられているが、既に「死に体」内閣とも言える状況である。何故なら、組閣したものの国会を開けずにいるからである。普通なら新しい大臣がその能力を国民に知らせるために直ぐ開かれるべきものである。それで無ければ国民の記憶からも忘れ去られてしまうからである。そして、自民党景気対策として打ち上げられているのが、相も変わらず「赤字国債」の発行である。そしてまた公共事業にお金を支出するらしい。その景気対策効果が、お金の割には効果が薄いという事実をもう既にお忘れになったらしい。土木関連の企業は少しは息つくことができるだろうが、それは、既に脳死状態の患者さんに人工呼吸器で息を吹き込むと同様の効果しかない。既に体は元に戻らない状況で対処療法を繰り返して延命しているにすぎない。景気の変動は、不採算業種を篩いに欠ける。その辺りの見極めもせず、また道路にお金を掛けようとするのは、愚の骨頂でしかない。それでも行おうとするなら、余りにも滑稽なことでもある。そもそもお金の掛けどころを間違えていたのが日本の政治である。第一次産業へのばら撒き型の補助金が、生産農家の体力増強に役立ったとは聞いたことが無い。かえってその補助金で息を永らえているに過ぎないところが多くある。もし日本の食糧自給率を向上させる意図が仮にあるのだとしたら、もっと根本的な産業構造の強化に叶うお金の入れ方を工夫すべきである。また、従来型の公共事業の仕方も、ただお金を投入すべきだけではなく、その技術が諸外国にノウハウとして輸出できるような技術力を養うものに投資すべきである。それができないのなら、お金を入れるべきではないと思う。今までの日本は、他の国が技術的に劣っていた分野でその技術力を発揮し、利益を得てきた。その分野での差が中々つかなくなって来たところに今の日本の弱さが露呈してきたといっても良い。その弱くなった部分を、支えて強化させるのか、それとも新しい分野の技術を開発するために援助するのか悩ましいところではある。両者を天秤に掛けることも難しいだろうが、それを同時に行うことも更に難しい判断を迫られる。それができてこその技術立国の政治というものだろう。これからの日本を見据えて、本当に骨太の政治を行って欲しいと願うばかりである。