雇用

少し東側に雲が多い。西の空には少し下が欠けた丸い月が浮かんでいる。外は寒く、歩く道路の雪は凍って滑りやすくなっている。 今日のニュースでは、内定取り消しについて放送していた。確かに早々に内定が出てその間就活をせずにいたわけで、もし来年まで就職が決まらなければ人生の設計図も狂ってしまうだろう。それが自分の身に降りかかればそれは恐ろしい出来事だろう。 しかし、ここは、そんな会社に就職しなくて良かったと考えなければならないだろう。もし就職しても、この先中途でリストラされても、今より一層働き口は無い。働き口があるとすれば人より優れた能力が必要だろう。もし今の時点でその能力があればきっと他に働く道はあるだろう。 日本の企業の労働者に対する対応が変わって来たのは何時ごろの事なのだろう。昔から企業は終身雇用制度を形なりに守ってきた。その中で肩叩き、窓際などといういやらしい行為もあったが、普通一度雇用されれば、その先定年するまで同じ会社にいられるものだと考えていた。 それが、何時しかリストラというカタカナ文字が一般化し始めると、どの企業も我先に行うようになりそれが当たり前の事となってしまった。更にその間、トラバーユ、ヘッドハンティングという言葉が出始め、就職してからでも能力さえあれば自分の力で次の勤め先に移ることが出来るという新しい考えが広まってきた。 更にその環境に、派遣という新しい職種が出てきた。最初の派遣労働というのは、スペシャリストの派遣という名目が強かった。それは優れた能力を色々な場所で生かすために派遣会社を基盤として活動するというものであった。  しかし、それも企業側の都合の良い介錯で、何時しかそのスペシャルな能力に拘わらず一般職の補助作業要員という形で必要とされるようになった。 ただこれも期間を限定する事で、退職後に正規雇用されたくないというニーズもあるため全てが間違いというわけではない。そういった要望もあったわけである。 しかし、その派遣作業が製造業に及ぶに当たり、企業側にとっては非常に都合の良い制度に作り変えられてきた。仕事の多寡によって働く人数を調整する事は、生産能力の調整のために必要の無い労働力を雇わなくて良いという、右肩上がりの時代には非常に上手く機能していた。 その右肩上がりが下降に転じるとその機能も破綻し始めた。その一つが雇用の調整を行うと大量の失業者を生むことになった。その数は、半端ではない。  さらにこの失業者の増加は、日本だけではなく世界的規模で起こった事に悲劇はある。このままいくと世界総倒れである。 何らかの雇用を生み出さなければ失業者たちの労働力が生み出せないことになる。もしこの危機を救うには、世界的なプロジェクトを行わなければならない。それもその労働力を必要とするものである。 さてここ数年の間世界は果たしてどのように動くのだろうか?せめて戦争だけは起こさないようにして欲しいものである。