3月24日の雑記

昨日は、あれだけ暖かったのが嘘のように肌寒い。空は乳白色の雲で覆われている。夜にはみぞれか雪だそうである。


 昨日室蘭で行われたナビスコカップの予選リーグ。札幌はJ1昇格後初の一勝をあげた。その試合を見ることができなくて残念である。
 ノナト選手が初出場だったがどうだったのだろう。前半で代えられたところを見るとベストの状態ではなかったのだろう。

 ナビスコカップは、J1のチームにとって公式戦という位置づけながら天皇杯より格下扱いにされているようで、若手の先発が多い。あと公式戦で出場できない選手の実力を見極める試合として利用されているため、全てのチームが本気モードかというとそうでもない。

 とは言っても札幌にとって勝利の感覚を味わえたことは次につながることだと思う。


 それにしても最近、切れてしまう事件が続いている。多くの人は、普通の生活をしているのだろうがある一定の確率でその中から犯罪を犯す人間が出てくる。このことは防ぎようが無い。それは人間がロボットではない証拠でもある。

 しかし、そのためにある一定数の犠牲者が出ることは是認すべき事柄なのだろうか?数字上その割合は普遍だとしたら、その数を減らす何かが必要である。
 昨日の事件などは、「オタク」というラベルをはられた人間が引き起こした事件ということで一括りされてしまうかもしれないが、その特異的な行動は、人間全てが生れながらに存在するものだと思う。それが発現するかしないかはタイミングなのだろう。
 そうでなければこのような事件が日常的に発生することの説明がつかない。

 こういった事件が「オタク」という記号で分類されたとき必ず原因として上がるのが「ゲーム脳」というキーワードである。しかし、ゲームが犯罪の発生率を高めるというデータはない。もし犯罪を助長するとするなら、TV、映画、小説、マンガ、など全ての精神を刺激するメディア全てが対象になるはずである。そして全ての環境が人間の歯止めを開放するキーになるのだろう。

 一つこのような事件が起こる理由として考えられることがあるとしたら、人間と人間の距離が近いことが原因として考えられる。動物それぞれがテリトリーを持つように、自分の関心領域に進入する異分子を排除しようとするが、その行為が現代社会ではしづらい。
 満員電車の中では、嫌でも体を密着させなければならない。それを日常の環境として受け入れることで人間の感覚を強制的に麻痺させて日常を過ごしている。それが何らかの外因により集団の中の個を表現しようとすることが破壊行動に繋がっているのでは無いだろうか。