3月末日

朝の空は、乳白色に染まっていた。空のはるか彼方に雲があるせいである。気温も低く、今日はところにより雪が降るらしい。
 しかし、確実に春に近づいているのは確かで、道端には、福寿草が顔を出していた。

 今日は、3月最後の月曜。仕事をするのが嫌になる。とはいっても自分から仕事を取ってしまえば只の人で、それが無いとしたらどうやって暮らしていくか考えたことも無い。

 土曜日の深夜放送していた。報道特集で、札幌の24歳のホームレスの姿を放送していた。
 あの冷え込みの厳しかった2月に野宿をしている様子だった。彼にも少なからず問題があるだろう。しかし、その問題を救えない社会が自分の身近に存在するということを改めて感じる番組だった。

 確かにそういった生活をするのは、自己責任に近いものがある。ただそれを簡単に容認してしまうと、失敗者即脱落者となってしまう。一度の失敗も許されない社会が本当に幸せだろうか?
 失敗してしまった者を救え更に再挑戦できる社会を作らなければならないのだろう。そうでないと日本は救えないし、日本自体も回復してはいけないだろう。

 では具体的にどういった仕組みを作ることができるのか?

 やはり彼らに何らかの仕事を分け与えるべきだろう。仕事をすれば衣食住を提供できるような公的補助である。
 それくらいのお金なら国土交通省や社会保険庁の無駄に使ったお金を集めるだけで可能だろう。

 失敗しても許される社会ではなく、失敗を挽回できる社会構造が格差社会には必要である。