初恋

 曇り。少し風は湿っている感じがする。道沿いの家の庭先には色とりどりの花が満開である。と同時に、そのどれかにアレルゲンがある自分のハナは、急激に鼻水を出してくる。


 初恋と言う言葉を聞いて直ぐに思い浮かぶのは、村下孝蔵の「初恋」である。実は、たまにであるが、初恋の夢を見ることがある。それは、現実に起った事ではなく本当に夢の中の出来事である。

 その相手、顔は夢が覚めると直ぐに忘れてしまうため覚えていないのだが、夢を見ながら本当に切なくなるのである。もしSFのようにパラレルワールドが存在するのなら、別な自分がそういう体験をしているのかもしれないと考えると羨ましくなってしまう。

 何もいい年をしてそんな夢を見なくても良いとおもうのだが、見てしまうのである。更に、夢見る回数が少ないのだが、印象が強烈なため、夢が覚めた後も覚えているのである。

 この印象は、受験の夢と同等だろう。受験の夢もあれはあれで強烈で、目が覚めた後もあのあせった感じは中々自分の頭から離れない。

 何故この年になってそんな夢を見るのだろう。既にそんな恋をする年齢でもなく、本当に若い頃はそんな夢を見なかったので、年老いた結果がそういう夢を見させるのだろうか。

 夢は、大脳が記憶の整理を行っているためとも言われている。真意はわからないが、その整理の際に整理されたがらない記憶が無理に自分に夢を見させることでそれを覚えさせようとしているのだろうか。

 人間、忘れてしまいたい記憶は、ずっと残っているものである。失敗などの経験などは、繰り返し思い出されれため忘れようとしても中々忘れ去る事は出来ない。

 もし人間が、幸せな体験だけを覚えるようになれば世の中には、争いは無くなるだろう。争いは憎悪と憎しみから生れる。その切っ掛けがなくなれば、人は注意を他のものに向けるだろう。

 

 しかし、残念な事に記憶は、悔しかったり失敗したりしたりした事を選択して覚えている事が多い。

 話は、初恋に戻るが、もし自分が夢のような事を実際に経験していたらと思うと、それができない事が非常に残念である。あの夢の中の自分のように繰り返しあの胸がキュンとする経験をしてみたいと願って止まない。