デフレに思うこと

 朝から小雪がちらついている。ここ数日毎日朝は雪が降る。とはいっても本当にまばらに降るだけで本格的な降雪ではない。そのため何やら風景に優しさを感じさせる。

 

引用 日本経済新聞http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20091121AT1C2000520112009.html) 

 資金供給の拡大、日銀総裁は慎重

 日銀の白川方明総裁は20日記者会見し、設備投資や個人消費などの最終需要が大きく不足した状態では「流動性を供給するだけでは物価は上がらない」と指摘。デフレ克服に向けた資金供給の拡大に否定的な考えをにじませた。米連邦準備理事会(FRB)は現在、日銀のかつての量的緩和政策に匹敵する規模の資金を供給しているが「物価を押し上げる力は乏しい」とも語った。

 総裁が追加緩和の効果に懐疑的なのは、需要の弱さという「根本的な原因に働きかける」ことが今の局面では重要と考えているためだ。「家計の将来への安心感や企業の成長期待を確保することがもっとも大事」と述べ、現在の超低金利政策や潤沢な資金供給で「粘り強く支援していく」姿勢を改めて強調した。

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 生半可な知識で書くと砂を掛けられる話なのだが、日本は今デフレに突入していると政府は発表した。

 デフレの傾向は、内閣府が4半期毎に発表している実質GDPのグラフからも伺える。

 上は1990年からのGDPデフレーターのグラフである。見ての通り、1990年代に物価上昇期を迎え、その後2000年代からは、徐々に物価が下がる傾向がこの10年続いている。その間、原油価格の上昇から国内の物価が一時的に上がったように思えたが、それは一時的な現象で、徐々に国内物価は下がっているといえる。

 ニュースに良くデフレスパイラルと言う言葉が出るが、まさしく今の状況がそれである。そのため給料が下がったという話題が有ったとしても実質所得は上がっていることになる。

 この経済不況から脱出する方法として、インフレターゲット論が取りざたされる。確かにゆるいインフレを目指し、国内需要を活発化させれば徐々に円安となり、国際競争力が高くなると思われる。その代わり円高のメリットは得られない。更に国際競争力をつけるために労働者賃金の引き下げも言われている。

 

 日銀は市場にこれ以上をお金を供給しても無駄だと述べている。日本のバブル崩壊後の金融危機の時代にそれは実証されているということらしい。

 確かに、このまま市場原理に任せれば、生き残れる企業は生き残り生き残れない企業は退場するという選別が自然と行われ、積極的金融緩和の時に退場すべき企業を淘汰できなかったという苦い経験からいえることである。

 しかし、その当時まだ中国や他の国がまだ今ほど力をつけていないときだから言えた事で、もしこのまま市場原理に任せれば、日本国内の企業は軒並み淘汰されるだろう。それ程技術力に差が無くなってしまったということである。

 確かに市場原理に任せず、積極的に企業を支援したとしても生き延びれる時間は少しだろう。幾ら国が頑張ったとしてもその企業が心停止状態だとしたらカンフル剤は最後の手段である。

 まさしく日本と日本国民は、世界で一時の幸せな時代を過ごせたわけである。最初は働き蟻の生活を送りせっせと貯蓄に励み国を作ってきた、そしてその働き蟻が産んだ子供がキリギリスだったわけである。親が築いた財産を、まだあるまだあると言いながらせっせと浪費しいつの間にか働く事を忘れてしまった。それが今の世代である。程ほどに働けば暮らしていけるのに何故無理をして働く必要があるのだろうかということである。

 起こるべくして起きた結果が今にあり、そしてこの問題は、今の若者に全てを託されたといってよい。今の若者が蟻に帰り今までの暮らしを諦め働くか、親の姿を見てそのままキリギリスの生活をするか見守るしか術は無い。