定額給付金

朝の冷え込みは厳しい。空は曇り空で朝日もまだ雲の中にある。道は積もった雪のせいで歩くたびにキュッキュッと音を立てる。 自民党のやろうとしている定額給付金が色々と批判を浴びている。これも色々有ったからとしか言えないが、貰って一時的に使ってそれで消えてしまうようなお金と、その先につながるような投資とは意味合いが違う。 例えば2兆円を1万に分割すれば、2億円である更にそれを10で割れば、それぞれ2千万になる。 最大2億円最小2千万円で企業化を支援すれば最小で1万件、最大で10万件の案件が生れるわけである。そのうちの何件かが成功するようであれば日本の将来に夢を与えるし、それ以外にしてもその企業化に使う資金は市中に最終的に出回るわけで景気浮揚策になるだろう。 死に金でなく生き金を如何に多く作るかが大切だろう。そうしなければ今朝の放送ではないが国会議員がそろって美味しいものを食べることも無いだろう。  一般国民にとって確かに目の前でお金を配られれば受け取らないわけではない。それはありがたいと思うだろう。そしてそれが何に使った判らないうちに使われ、それと同額が貯蓄に回されるなら金融機関が潤うだけになってしまう恐れがある。大半はそういう結末になりそうである。これ程先行きが不安な状勢で国が考えるように散財してもらえるとは到底考えられないからである。 しかし、この先にある僅かな明かりさえあればそこを目指して進んでいけるのだが、なにやら一寸先が霧に包まれたような状態では足を前に出すのもためらわれる。 国として日本が成り立つとするなら、せめてこうすれば日本は良くなるといった希望の言葉を唱えて欲しいものである。