文字の不思議

 曇、それもいつでも降り出しそうな雪雲が厚く垂れこめている。更に気温もマイナス4,5度位に成っている。7時になっても外はまだ暗い。

 

 ここ何年、手書きからパソコンによる文章作成ばかりになり、徐々に頭の中の文章作成力が変化してきている。

 手書きなら文章を書く前に、頭の中で一度漢字なり平仮名を思い浮かべ一文字ずつ書く作業が繰り返されるのだが、パソコンで文字を入力する場合、既に頭に単語を浮かべるのではなく、反射的に指を動かし変換される文字を頭が後追いするようになる。

 そのため、文章を書くのは、頭ではなく指になったような錯覚を覚える。それが文章にどのような影響を与えるか知らないが、間違いなく頭で一語ずつ文字を思い浮かべる作業は無くなったと感じる。

 しかし、良く考えてみると手書きの際も先に指が動いていたかもしれないが、漢字を書こうとする場合、反射的に出る文字と思い浮かべなければならない漢字があるので、その差が出ているのかもしれない。

 しかし、それを続けていると漢字がただの文字と言うより画像に思えてくるから不思議である。本当にその漢字がその意味を表すものなのかタイプしている間に不安が湧いてくるのである。

 漢字は象形文字として生まれたが、今では略され組み合わされとても象形文字とは言えない。そのため日本語を使おうとするとその文字がその言葉をあらわすと言うことを初めから理解する必要がある。

 

 パソコンに文字を入力するには、ローマ字で一度言葉を変換する必要がある。それが、思考を変える要素だろう。かな変換なら最初から文字を日本語で打つわけだからその点は、違う可能性がある。

 しかし、今若者には必須のアイテムと成っている携帯は、最初からかな入力である。そのパソコンと違った入力方法は、今後パソコンの文字入力方法の変化につながる可能性がある。そこに、主として使用しているデバイスの差で思考能力が変化して行く可能性がある。

 文字で文章を作るのは人間の最大の特徴で有る。それがこの先どのように変化して行くのか自分は見届けることはできないが、興味のある問題である。