情報

 曇り、気温はマイナスである。更に風が時折吹くために非常に寒さを感じさせる。

 

 内閣の支持率が下がっていると報じている。この世論調査も、各局が同じ支持率であるなら問題だが、その数値がバラバラなことが多い。まさしくこれが誤差というならその程度の調査であるし、どれかの世論調査のデータが操作されたものだとしたら問題がある。

 昨日、眠ろうとする時間にNHKでインターネットと既存のマスコミの報道について討論会を行っていた。

 

 それを見て思ったことを書いてみる。

 情報は、生ものである。それを煮て焼いて読者あるいは視聴者に提供するのがマスコミの仕事と言われてきた。

 そのため、本当の情報に記者或いは会社のバイアスが掛かり、会社の利益のために報道すべきことを報道しないと言った傾向が見られた。

 その報道の仕方に対してインターネットは、その生の材料をアクセスしてきた人に対してさらけ出す情報メディアであると力説していたが、バイアスが掛からないとは全くいえないし、誰かの影響力を受けて工作員成るものが情報を操作しようと暗躍することは周知の事実である。

 インターネットがすべて正しい情報を表示しているかと言うと大変な嘘になる。同様に既存のマスコミが何時も自分たちの利益の為に報道しているかといえば嘘になる。

 情報の質に関しては、同じように見る側、聞く側が判断しなければならない用になってきている。

 情報量の多さは、人に判断のチャンスを与えるが、それに押し流されてしまうと言う危険性がいつも付きまとうのである。

 

 人間が、情報処理できる能力には限度がある。全ての情報をインプットして導かれる答えが何時も正しいとは限らない。常に誤解が付きまとう。

 さらに、社会的には、インターネットやマスコミなどの情報に接しないグループも存在する。そのグループは、古典的な人との会話から情報を得る偏った生活を送っている。その中で既存のマスコミの勢力は、徐々に劣化を繰り返し、今に至っているといえる。

 その情勢を挽回すべく、努力を続けているのは判るが、既に時は遅きに逸している。すでに情報というインフラは予想を超え浸透し、特定の情報源に頼るにしても新聞、マスコミでは無く、インターネットの一部のサイトからしか情報を得て居ない層がかなりの割合に達している。

 そのように、世の中に情報が溢れていたも、それに接しない、或いは特定の情報にしか接しない層が世の中の大多数になる可能性が出てきた。ある種のクチコミ状態で有る。

 そのクチコミに因る情報の伝達が、携帯電話と言う武器を得たことで、ローカルな話題がグローーバルな世界に伝わることに成りその伝搬速度を飛躍的に増してしまった。

 今後、携帯のあの小さな画面から世界を見渡すように様になろうとしている。その先頭を行っているのが日本ではないかと思う。もはや新聞TVの時代は確実に終わってしまった。