サッカー日本代表

 曇り、午後から晴れるようだ。気温は、朝5時で10度と相変わらずの低さで有る。

 しかし朝6時には、運動会の開催を知らせる打ち上げ花火が何箇所から聞こえてきた。

 昨日の日本代表とコートジボワールのサッカーのテストマッチ。見ていて、代表チームに失礼なのだが、コンサドーレ札幌の試合を見ているようであった。

 コンサドーレ札幌も今の日本代表と同じように、守れない、得点を入れることが出来ないという試合がつづいていた。

 日本代表もここ数試合、レベルが同等、或いは格上の相手にいい試合はするのだけれど、横パス、バックパスが多くリズムが作れなく、更にパスミスで相手にチャンスを与えて速攻から失点するという、デジャヴのような試合をし続けている。

 

 日本代表の選手なので、普段ならあんなパスミスをするハズが無いのに、簡単にミスをする。それも相手のプレッシャーから来るパスミスが本当に多い。

 相手もその国を代表とする選手であるし、技術もスピードもあるので、普段Jリーグ選手と相手しているような試合は出来ない。その速さに慣れてしまった選手に対し冷静にパスをしろと言ってもそのスピードを切り替えるには、普段からの経験がものを言う。

 Jリーグができ、日本サッカー界もそれなりに隆盛を誇ってきた。しかし、その進化は、やはり日本という環境が邪魔をしているとしか言いようがない。

 日本人は、技術とスピードを好む。そのため技術を充分発揮できるMFタイプが求められ選手たちはそれを目指すように成る。しかし、幾ら技術がありスピードが有ると言っても、世界の一流選手の技術とスピードではない。

 それを補うには、やはり相手に当たり負けない格闘技としての体力も必要としてくる。しかし、Jリーグの試合を見ていると不満に成るのだが、当たられると直ぐに条件反射のように転びファールをアッピール選手ばかりが目立つのである。

 これは、日本のJリーグが発足した時に加入してきた外国人選手の影響が大であると思う。まず外国人選手は自分たちのプレーを有利にするため、審判の癖を見抜き裏をかこうとする。

 そのため、どの程度の行為でファールを得られるかまず試したはずだ、その時、日本の審判は接触プレーを厳格に取る傾向にあった。

 するとどの外国人も、相手が触れるか触れないかで大げさに倒れファールを得ようと演技を始めた。そしてそれを次に真似しだしたのは、日本人選手だった。

 そして、どの選手もちょっと接触しただけで倒れる選手ばかりになり、それを見た子どもたちがファールをもらうための演技を真似しだしたわけである。

 最近漸く、そのファールプレーを見る審判の方法が変わってきて時には流されるように成ったが、その伝統はちょとちゃそっとで変わるはずも無く、相変わらず試合で転がる選手ばかりである。

 ちょっとした演技でファールを取ってくれる試合ばかりになり時間がたつと、チームにひ弱な日本人選手が多く残るように成って来てしまった。日本代表選手の体の線の細さは他の国と比べたら本当に見劣りがする。

 これも鶏が先か卵が先かと同じ意味に成るのだが、多少当たられてもファールを取ってくれない審判が多い国は、体力的にタフに成るのではないだろうか?

 危険なファールは、選手生命を失わせることが多い、そしてそれが度重なれば、サッカー選手に当たられてケガを直ぐするような選手は、自然とサッカー界から消えていく事になる。

 まさしくサッカー界での「自然淘汰」が起こるということである。

 どんなファールを受けてもそれに打ち勝つ体づくりが目標となれば、徐々にサッカー選手の体格が良くなるか、当たられてもそれを交わす技術に優れた選手が生き残る事になる。

 その中には、体力と技術に優れた選手も生き残るはずである。それが一流の選手となり海外リーグで活躍する選手になるのだろう。

 そして、危険なファールを排除し続けた結果日本はどう成ったかと言うと、転ぶ演技は非常に上手く、プレッシャーを受ければその持つ技術を発揮出来ない選手ばかりが生き残ったわけである。

 

 それでも今のJリーグでは、危険なファールを受けてケガをし、手術する選手が絶えない。

 日本人は、そういった悲劇には敏感であるため安全なサッカーを目指して進歩してきた。

そのことは、日本国内だけでサッカーを行うなら何も問題ない。しかし、いざそれが代表として世界に出たとき、日本で行っていたサッカーでは太刀打ち出来ないことを悟るわけである。

 このことは、既に4年前のワールドカップで知らされたはずである。ジーコ曰く、日本人には体力が必要だと。

 しかし、その4年間、日本が進むべき方向が正しかったか試される時を迎え、その改善の無さに皆が愕然としているのである。

 オシムが監督に成ったとき、まず走り負けないチームを作り、どのフィールドプレーヤーも攻撃参加できるチームを作ろうとした。そしてそれが出来るか出来ないかの時点で病に倒れてしまった。本当は、走れるチームの土台の上に、更に次のステップを見据えていたはずである。そう信じたい。

 しかし、それを引き継いだ岡田監督は、オシムの流れを汲むと言いながら、次第にチームを混沌に導く方法を取り始めた。

 まず、走るという意味を無意味なものにした、そこに有ったのは走らずにパスを回すことであった。確かに相手が弱ければ華麗なパス回しで相手にボールを奪われず、相手の体力を消耗させ最後に動きの止まった相手に勝利することができる。しかも自分たちの体力は温存したままである。

 この成功の一例が(体力を温存することには失敗したが)、去年のオランダ戦の前半で有る。

 

 本来なら、全ての選手が動きそこにパスが出て流れるように動くことが大切なのに、岡田監督のパス回しは、試合前の練習の鳥かごの動きしかしていない。

 更に悪いことに、岡田監督のコンセプトに接近集合と言う方法を掲げている。その名のもとに、ボールの周囲に味方選手を集め局地的に数的有利を作り出すという崇高な使命を果たすために全力を注ぎ、選手が密集した地域以外の部分はがら空きに成ってしまう。

 絶対選手がボールを失わないという前提ならそれも可能だが、戦う相手がボールを簡単に奪取できるレベルなら、足の早い選手がその空白地帯に走り込めば、それに対応する選手の数は少なく、それによる失点が増えることに成る。

 しかし、最近はそれに懲りてゴール前を固めることに重点を置き始めたため、却って攻撃の手数を失うことに成ってしまった。

 岡田監督の作戦は、必ず相手が格下で、自身の選手がボールを失わないという前提でしか機能しない。それも、体力的にも試合を通して優位に立つ必要が有る。

 しかし、監督は、体力強化はJリーグの各チームが行うもので我関せずと言う方針だから酷いものである。余計なお世話かもしれないが、強い代表を作りたいと思うなら、Jリーグの各チームにお願いして回るべきである。もしそれが出来ないなら協会会長、或いはJリーグチェアマンの力を使うべきであった。

 そして、できたチームが、無駄に走り体力を消耗し、疲れて立ち止まり集中力を失い失点してしまうようなチームで有る。

 最初の前提がきちんと達成していないがため、コンセプトは破綻してしまった。

 こうしてワールドカップを迎えることになった選手は、不幸である。そして、岡田監督に希望を託したサッカー好きな人達の夢をも壊したと言える。

 しかし、試合は水物である。予選リーグで勝つ可能性はある。しかし、今後未来に向かってでもベスト4に勝ち残るチームを作ることに失敗したのは間違いない。

 4年後本当にベスト4に残るチームを作り上げるには、まずJリーグのレベルを上げることである。まずユースレベルの指導者に伝えるべきである。どのような選手を育て上げなければならないかを。