失われた20年

 秋晴れ、涼しい風が吹いている。何時ものように半袖で外に出ると風の冷たさに秋を感じる。漸く前線が南下し、北の冷たい風が北海道に吹き込むことで涼しさを運んできた。

 

 失われた20年、最初は10年だったのにいつの間にか10年も増えてしまった。高度経済成長が止まりバブル景気を迎えそれがしぼんだ途端、日本は長い停滞期に入ってしまった。その間に生まれた子供たちも、先頭は成人を迎えた訳である。

 その長く暗い停滞期の間、日本はそれまで蓄えてきたモノを徐々に吐き出しながら暮らしてきた。あの東京の土地4畳半くらいが1億だった頃、一挙に膨れ上がった日本の資産は、霧のように消えてしまった訳である。

 それと一緒にバブル期の、額に汗を流して働く事を嘲笑った風潮が消え去るかと思えば、それは余韻のように残り、未だ3Kと呼ばれる仕事に対する蔑みは残ったままである。

 今では、失業者が増え、額に汗する仕事さえ他のアジア諸国に流れてしまい、その嫌っていた仕事さえなくなってきてしまった。

 日本は、長寿社会になってしまった。極端なことを言えば老人を長生きするための仕組みだけ残っている状況である。本来なら国が栄えた利益の何分の1かを、国のために働いた人の為に使う医療費が、いつの間にかその額の国家予算に占める割合だけが上昇してきた訳である。

 

 もしこのような状況が長く続くなら、国民の医療費や年金、生活保障費だけで国家予算の半分以上を使う事になるだろう。もしかしたら既にそうなのかもしれない。

 経済的に発展する国は、社会保障にそれ程重きを置かないことが多い。それは経済成長時期には国の蓄えは少なく、その利益は設備投資に回されることが殆んどである。もし社会保障費が増加しだした場合その国の経済成長は止まり安定期にその国は入ったといえるだろう。

 日本が今後どのような国に成るのか判らない。一度ガラガラポンをしてまた世界の工場を目指すのか、或いはこのままジリジリと国力が低下していくことを良しとするかの瀬戸際である。

 はっきり言って革命でも起きない限り、今の老人中心主義の考え方は変わらないだろう。今の日本には、老人の数が増えすぎた。更に日本で権力を握っているのは見渡すかぎり60過ぎた老人ばかりである。

 そこから主導権を取り返すことは今の日本では不可能だろう。だから革命でも起きない限りダメだと書いた。更に言えば、今の40代50代は、それも嫌がるだろう。何故なら自分の未来の生活を失うことになるからである。

 日本の今の現状は、必然であるというのが結論である。もし、これから日本にできることは、優れた人材を育てることである。優秀な日本人が育ち海外にでていくことで日本はすくわれることに成るだろう。