冬支度

 晴れ、西の空に白い月がまるで骸骨のように光りながら浮かんでいる。晴れてはいても気温は低い。この寒さが続くなら今夜の雪の予報もうなずける。


 北海道の10月は、まだ冬ではない。11月に入り雪がちらつく中旬が初冬という感じである。だからまだ秋である。この時期は、多くの家庭で冬支度が始まる。

 例えば庭木が冬の間の積雪に負けぬよう冬囲いをし、夏の間庭を賑わいを見せていた花々などの鉢植えをかたずける。さらに冬の雪道に備え車のタイヤを履き替える作業もこのころ行われる。

 

 その風景は、気温の低さも合わせどことなく哀愁を感じさせる。木々に巻かれた縄や蓆は、冬の寒さを堪えるための人が庭木に贈るせめてもの愛情表現である。

 今年の夏は、異常に熱く、地球温暖化の影響と言われ冬も暖かいのかと勘違いしてしまうが、やはり冬は冬である。地球温暖化は、年平均気温が上昇するだけで、日々の気温は変動する。更に温暖化は、気温の上下動が極端になりやすくなる。

 だから、人は言葉に惑わされず冬への備えを怠るべきではないということである。

 イソップ物語に「アリとキリギリス」という話がある。結末は諸説あるが、日本では、勤勉家のアリと遊び人のキリギリスという対象で語られ、最後にアリはキリギリスに手を差し伸べる。

 人の人生で置き換えてみれば、もし一生アリの生活を送るより自分の快楽を追い求めるキリギリスの一生に憧れを感じるのは否めない。

 毎日家と仕事場の往復、更に同じ与えられた仕事を朝から晩まで繰り返し、家には寝るために帰るだけ。言葉にすると非常に虚しい人生に思えてくる。

 それと引き換え、一年でも自分の思い通りにやりたいことをやって生きていければこれ程幸せな人生は無いように思えることだろう。

 しかし、その毎日の退屈と思える人生も、同じことの繰り返しの中から変化を感じ、その先にある大きな変化を徐々に感じていく人生もまた一つの人生である。華やかさにはとても乏しいけれど、その一つ一つ積み重ねがその人の人生の集大成である。

 そしてこの世の中の多くの人が、その一つ一つの積み重ねをするアリの人生を送ることで成り立っている。だからキリギリスの生きる余地が存在するのだろう。

 冬が来る前に冬支度をする。それは春が来れば無駄なことのように感じることであったとしても、人間はそうせざる負えないように出来ている。まさしくアリの人生である。与えられたスケジュールをこなしていくことが全てなのである。

 もしその生活に疑問を持つならキリギリスの人生を歩むことをだれも止めることはない。