晴れ、しかし気温は低く、雪が降っていてもおかしくない。地面の花や草は既に白く霜に覆われ、塩をした菜っ葉の様である。

 人としてある年月生きてくるとその人生の中で、苦い思い出というものは多々ある。それは、他の人は既に覚えていないことかもしれない。しかし、自分の記憶の中にはまだ鮮明に映像までが残っている。この記憶は、自分がこの世から消え去るまでこの脳内のどこかに留まっているのだろう。

 脳の記憶というものは、本当に不思議である。もし、自由に書いたり消したりすることが出来れば、人が色々なことを勉強して覚える必要が無くなるわけである。

 英語の会話などもメモリーの交換で簡単に切り替えることが出来ればそれで終わりである。ただそうなると脳内の記憶領域をフォーマットしたりインプットアウトプットという入出力の仕組みの解明が必要になる。

 これ程人の身近にあり、それを使って物事を考えているのに、実はその仕組みが隅から隅まで判っていないというのも不思議なことである。

 また、手足などの無意識の反射は、脳がコントロールしていないという事実もある。脊髄反射というものである。脳の細胞のINOUTの時間では応答が間に合わないため、代わりに脊髄で反応することで応答スピードを高め、人間が危険から身を守る役目を果たすわけである。

 後、脳の命令を受けないものとして、心臓や食道、胃などの消化器官がある。これは脳の命令が無くとも勝手に動く臓器である。

 それは、地球上に生物がまず生まれた際、バクテリアなどの微生物が最初に生まれたと考えられる。

 ご存知のようにバクテリア、細菌などは構造上人間の脳のような器官を持たない。あるのは自分の体を機能させるエネルギー変換のための機能が主体である。

 そこから徐々に進化を遂げて人間があるわけで、生き物の発生の原点は、エネルギーを変換するための機能がまず始まった。そのため、人間でいえばエネルギーを変換させる消化器官、更に体を動かす心臓などは脳の支配を受けないように出来ているわけである。

 だから例えば殺人事件でも殺意無き殺人は存在するだろう。憎しみという感情から脳が手足に命令して行動する場合と、例えば駅のホームなどで、背中に例えば雨水があたり反射的に避けようと動いた体が他人にあたりといったことが起きうるわけである。

 

 また、いとしい人、恋人や妻や子供を見ただけで反射的に抱きしめるという行動も、脳が反応して抱きしめる場合と脊髄が命令して無意識のうちに抱きしめる場合がある。視覚からある物体を見るだけで脳の電気信号から反応する場合と、その資格がそのまま脊髄を通り反射的に手足を動かす場合と2通りあるとしたら、人間の感情のある部分は脊髄にあるともいえる。

 などととりとめない考えが頭の中を駆け巡る。