海老蔵さん

 曇り、その乳白色の空にトンビが一羽、風に乗って飛んでいた。気温は、昨日よりかなり低い。


引用 サンケイスポーツhttp://www.sanspo.com/geino/news/101204/gnd1204004-n1.htm) 

海老蔵出演の全CM放送自粛!契約は継続

 歌舞伎俳優、市川海老蔵(32)が顔を殴られ重傷を負った事件を受け、海老蔵の出演する日本茶など3つのテレビCMが当面、放送を見合わせることが3日、決まった。各メーカーが発表したもので、社会的な影響を考えたうえでの決断。海老蔵は被害者とはいえ、次々と明らかになる当日の言動のつけが回ってきた格好だ。


 別に海老蔵さんのファンでもなんでもない。ハッキリ言ってしまえば、あののっぺりした顔は好きではない。しかし、好みとは関係なく、海老蔵さんはマスコミには嫌われていたのだなと思う。

 今までマスコミが持ち上げてきたのも、色々なゴシップという話題性があっただけであった。それが無くなってきたのと(商品価値の低下)今回の事件をきっかけにして海老蔵嫌いが噴出したようだ。

 これをまさしく手のひら返しというのだろう。これで、海老蔵さんが謹慎となり落ちるところまで落ちるか、時間が立ち人の関心が薄れるまでは、色々な話題を穿り返して報道するのだろう。

 

 この騒ぎがうやむやに終わり、また海老蔵という看板が復活すればまたマスコミは、話題を求めて追い続けまた持ち上げるのだろう。

 それが芸能人の定めと言ってしまえば簡単だが、若い内からこの環境で育ってしまうと、この世界から抜け出すのは、酒やたばこを立つのと一緒で一種の依存症から抜け出す覚悟が必要になるのだろうと思う。

 マスコミも「マスゴミ」という言葉が定着したとおり、その看板を掛けかえることなくゴミのような報道をするために血眼になって走り回り、それに話題提供してくれる海老蔵さんの人を日夜追い求め続けるのだろう。

 これも一種の依存症のようなものなのだろう。戦場カメラマンが自分の命を掛けてまで会心の一枚を取ろうとするように、マスコミの人たちも会心の記事を書きたいと思っているのだろう。

 

 しかし、読者はその会心の一枚も、一記事も同様に右から左に流れる情報の一部にすぎない。それが情報として消費され尽くすまでの寿命しか無い。それが判っていてもなおそれを仕事として選択することはある意味職人なのだろう。

 だけれども、持ち上げて持ち上げて、いいところで腕を離して支えを取り払うような行動は、一種のいじめと同じである。その大人社会の現実を子供に見せることが正しいのか疑問に思う。

 「いじめ撲滅」キャンペーンを右手でやりながら左手で「いじめ」を行っているその行為に幻滅を感じるのである。それもこれも人間のすることと達観することは可能だが、何かスッキリしないものがある。