人は悪

 朝日が東の空に昇り、空には高い雲と低い雲が浮かびところどころに青空が顔をのぞかせている。そして、小さな雪が風に吹かれて舞っている。
 ひどく調和の取れていない景色がそこにある。気温は、マイナス5度前後と言うところだろう。

 今日の朝のニュースは、「秋葉原殺傷事件」の裁判のニュースをやっていた。
被告本人は、謝罪の言葉を述べていると報じられているのがせめてもの救いがそこにあるのだろう。
 
 被告が罪を認め自分の行動に反省の気持ちを持ったとしても、被害に合われた方は一瞬にして人生を絶たれたわけであるからその被害者の人生を奪った罪は重い。

 世の中に犯罪は尽きない。石川五右衛門が死ぬ間際に読んだ句とされている「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」の「盗人」を「悪事」と呼び変えても通じるものがあるだろう。

 人として生きる間に、悪と善との境界を歩く場合がある。その境界をすれすれで歩き渡れば問題ないが、境界を踏み外してしまう場合もある。

 人間を善人と悪人と呼ぶような境界は、そもそも存在しない。人はいつでも善人になれるし悪人になれる要素を備えて生きている。それが人と言うものだろう。生まれながらに前にと呼ばれる人はいないし反対に生まれながらに悪人と呼ばれる人はいない。
 どちらかと言うと人間そのものが悪と言ってよい。その内在する悪を、如何に閉じ込めるかというパワーバランスで人という表層が作られているのだろう。

 だから長く生きれば生きるほど悪の領域に足を踏み込むことがあるし、またその被害に会うこともあるのである。それが人生と言うものだろう。