円高

 曇り、夜中に雨が降りさぞかし涼しい風が吹いているかと思えば、体にまとわりつくような湿気とぬるい風が吹く。このぬるさは異常である。北海道は、乾燥した風が特徴だったのに。


 円高が止まらない。EUやアメリカは国内の経済不況で立ちゆかない部分をユーロ安、ドル安で国外貿易増を狙っている。そのため自国通貨の大量増刷を繰り返しているわけである。等としたり顔で書いてもそのことに真実味がない。

 しかし、アメリカが国内製品の輸出を増強させようにも目ぼしい製品が無い。有るとしたら農産物だが、農産物は元から輸出しているもので、ここに来て輸出量を増やしてもドル安ならそれ程メリットはない。更に自動車や家電は、既に生産は国外にシフトしているため、主力は、飛行機や兵器ということに成る。それでもアメリカは、日本と比べることも出来ないほど国内消費は大きい。他国との関係でドル安になっても、国内のドルの価値が変わらなければ、売上増に応じてドル建てでの収益が上がるので給料は増える。

 それが日本と違うところで、日本は貿易黒字で得た収益が必ずしも国民の暮らしに還元されない。黒字を従業員に還元するのではなく、内部留保であったりグループ企業間での融通によりその利益を隠してしまう。
 更に、その好調さを国内の設備投資に使わず、国外の設備投資に振り替えているからいよいよ持って国内にお金が回らない状況である。

 国外に廻る設備投資の大部分を国内の設備投資に振り分けることが出来れば、それなりに国内の景気が回復するはずなのに、却って今後ライバルになると思われる国への援助となってしまっている。

 昔は、自国で生産しその売上を更に設備投資することで世界の工場として効率よく生産増できた。それが好循環として回ってバブルを迎えたわけである。しかし、その好景気は労働者の賃金の上昇と、3Kと呼ばれる職場からの労働者離れを生み、今に至る。
 しかし、今ほど失業率が高ければ、そういった工場への回帰も有るはずなのだが、日本企業はこぞって工場を海外に増やそうとしている。それは、将来的な不安がそうさせるのだろうが、その不安は、今生きている人の現実ではなく、未来の人間の不安を心配しているだけである。

 今後、日本がそれなりの生活に甘んじることを受け入れるなら、海外に生産拠点を移すのは、問題ない。それがグローバル企業として生き残るすべだからである。しかし、協業愛は必ずしも国家への愛ではない。何時でも企業の考えで国を裏切ることもある。

 それを変えることができるのか?