ギスギスした世の中

 雨がポツリポツリとふりだした。雨粒は大きいのだが密度は荒くそれ程の降り方となっていない。今日の予報は一日雨らしい。

 最近なのか何時からなのか、それともずっと以前からなのか判らないのだが、徐々に人と人との間に壁ができつつある。
 それは不景気という時代の流れで失業者が増え、就職難民と呼ばれる人が増えて徐々に明らかに成って来たのだろう。
 それは本当にささいなことである。道をすれ違うにもお互いに譲り合うこともあっただろう。それが少なくなってきたように感じる。見知らぬ他人だともしかしたら相手は犯罪者と疑うことも多くなる。
 
 或いは、そういう感情を持っている人は少数なのかもしれないが、それが気になり始めるとキリが無くなるほどである。
 更にこの夏の熱帯夜が続いたことで、その気分は余計に高まり少しのことで不機嫌になるのだろう。

 人間は行動は、得てして極端に走りやすい。中間ということがない。列を作れば巨大になるし、嫌いとなれば見向きもされない。その揺れかたの極端さは、半端ない。

 それだから戦争も起きるのだろう。お互いに会いてをこの世から消滅させなければ争いが終わらない。その間に誰かが立たなければ、何時までも争いが続く、それは10年でも100年でも何時の頃から何のために骨肉の争いをしているか争っている本人たちが知らなく成ったとしても、そのDNAにまで刻まれたような記憶は消え去りはしない。

 その何時かの時代に持った記憶は一生消え去りはしないし、その過去がまた災いを生み出すのは必然である。今までアメリカという時には理不尽な大国がその争いの仲裁役に成ったが、そのアメリカも自国の足元が覚束ない今その役割を果すことができなくなって来つつ有る。
 
 身近な隣近所の争いが何時の日にか大きな争いに成らないように願うばかりだが、やはり世界の景気が良くならなければいけない。