善と悪

 今日は晴れ、清々しい青空が広がっている。天高く馬肥ゆる秋である。例年なら北海道の秋は短く過ぎ去ってしまうのに、今年は夏の残暑を引きずりまだまだ秋が深まるところまではいっていない。紅葉も来月に入らなければ始まらないだろう。

 
 アメリカで「911」の跡地にモスクを建てることで宗教間の対立問題が起きている。アメリカは多民族国家で、純粋なキリスト教国家では無い。昔はそれでも白人が多数を占め、プロテスタントの国だったはずだが、今では、そう言うことでもないらしい。

 911の問題は、アメリカがイラク戦争を引き起こす切っ掛けとなった。それは宗教戦争にも似た、自分たちの領土を人間を傷つけるものは全て悪であるという考えで起きたと思う。

 しかし、この世に絶対的な悪は存在しない。あるのは悪という考え方で見方によってはそれは悪にも変わるし善にも変わるといったほうが正しい。

 この世に絶対的な悪魔や絶対的な天使が存在しないことは、明らかなはずなのに人間は、必ず善と悪、明と暗を創りだそうとする。
 それは一見理にかなうものがある。自分たちが幸せな暮らしをするために別な異物は排除しなければならない。しかしその異物は、必ずしも絶対的な悪ではなくその中間も含まれる。異物を排除し続ければ、悪と思われるものが排除されてしまえば、相対的にまだ中間だったものも何時かその集団では異物となる。純粋なる善は存在しないのだから、何時かその集団は減少し、反対にその集団から排除されていたグループが大きな集団を気付くように成る。

 今、排除しようとしているものは、未来の善になる可能性が非常に高いと言える。今回のモスク建設に反対しているグループは、将来の多数派を作り出すことを知らない。いくら排除しても相手が多数になれば今度は自分たちが排除される側に回ることを。

 まだアメリカ国内でイスラム教の勢力は低く、それ程問題と成らないのかもしれないが、徐々に数が増えその数が無視できない時は、本当に排除の論理が沸き起こるだろう。今回がもしかするとその切っ掛けを作っているのかもしれない。

 この奇妙なバランスは、まるでヤジロベーのようなものである。バランスが崩れないように均衡が一見保たれたものでも、支えている土台が腐ってしまえば、そのバランスも簡単に崩壊する。

 911の実行犯は、この微妙なバランスを崩したと言ってもよいだろう。それは遠大な計画だったかもしれない。しかし、その行為は的確にアメリカのバランスを崩すことに成功した。今後宗教的対立がもっと進めば間違いなくアメリカそのものが分裂し始めるだろう。

 それは日本にも言えることである。徐々に増えた日本国内への外国人の流入は、ある臨界点を超えたときに多くの問題を生み出すだろう。それは正しく産みの苦しみであり、それにより日本という形を失う可能性もある。