減塩

 風が冷たいが、空は快晴である。今の時期の景色はこの寒さを感じると中途半端である。まだ緑の葉を茂らせた木があれば、紅葉真っ盛り、すでに枯葉を散らした木があるという状況である。見る場所によって季節がバラバラである。
 それが不協和音として体に入ってくる。空きが心を鬱にさせるというのもこのような景色も何らかの影響を与えているのだろう。


 最近、血圧が高めになり高血圧の領域に入ってきてしまった。そこで急遽、減塩に取り組んでいる。高血圧の最大の原因は塩分の過剰摂取である。夏場のトレーニングで汗をかくとどうしても塩分を体が欲し、少量の塩分では物足りなくなってしまう。
 それがトレーニングによる塩分の損失より過剰に摂取することになれば、体内に塩分があふれてしまうことになる。その原理は、非常に良く理解している。
 
 そろそろ血圧が気になる歳になってしまたため、最近は塩分を極力控えることにした。とはいっても、元々調理食品に含まれる塩分は取り除くことが出来ないため食事を摂れば取り込まれてしまうため、極力薄味の物を作ってもらうようにする。
 さらに以前は、塩味が着いていても更に醤油などを掛けていたものを全く掛けないようにすることにした。

 納豆などは全くたれなどを使用せず食べる。そうすると豆本来の味がこういうものなのか再認識することが出来た。人間は、可笑しなもので、以前の食生活を引き続き体に覚えこむ。塩分の大量摂取も、元はと言えば体が一時的に欲していたものなのだが、それが改善されても引き続き惰性で長いこと塩分の過剰摂取を引きずってしまう。
 
 そして、体が必要と欲しなければ、塩分を減じた食事をしても特に不満を覚えることはない。人間の体は、つくづくコントロールできないものだということが良く分かった。

 タバコなどもそうなのだが、20になるかならないかで吸い始めたものの、まずいと思えばその日から吸うことは無かった。あれも、酒を飲む機会があるとどうしても手持無沙汰になり会話が途切れると無性に吸いたくなものである。しかし、酒を飲む機会を減らせばその苦痛も少なくなる。禁煙を実行している人は、酒を飲む機会を減らせば自然と禁煙も成功しやすくなるはずである。

 自分の体は、自分で管理しなければならないのだが、そのコントロールは若い時期は相当難しい。いろいろな誘惑をはねのける必要があるからである。その機会は非常に多い。
 そして、そろそろ人生の終わりに近づいたころにその健康の大切さを感じるようになるのである。だから健康に気遣うお年寄りが巷にあふれ、若い人以上に体を動かしている。
 
 その体から発せられる不健康のシグナルは、歳を取れば取るほど鋭敏になるのではないだろうか。それは、生きることに卑しくなることに通じるのかもしれない。

 減塩から始まった自分の健康探しの旅はまだまだ続くはずである。これが健康餓鬼というものにならないようにバランスをもっと取り組まなければ周囲に迷惑を掛けることは間違いない。