世相

 曇り、気温は低くマイナス10度近くになっている。目が少し寒さでちかちかする。


 年末になり慌ただしさを増している。そしてここ数年の賑わいの無さは異常である。確かに年末の支度でスーパーなどは人で混み合っているが、その人混みに見える雰囲気は殺伐としている。
 その傾向は、年を追うごとに個人個人の体から放たれる殺気のようなものが強くなっているように思う。昔の人混みは、犯罪者が居ても凶器を持っていなかったが今は違う。見た目に危なさそうな人には、近づかなければ危険を避けられるが、見た目が普通と変わらなければ疑心暗鬼になり接し方も変わる。その空気が全ての人に伝搬したように感じる。

 そして例えば、1000人が普通に行動していても、一人がその中で異常な行動を取れば、当然パニックが起こる。1000人のうち一人と言えば、0.1%と表される。それが昔だとしたら、今は、その異常な行動をとる人間が二人になった感がする。

 わずか一人増えただけで、数字上は0.2%と0.1%の増加なのだが、二人が同時に異常な行動を取れば更に混乱は増加する。今の時代は、その僅かの人間の行動に左右されるようになってきた。
 
 アメリカのように、日常的に銃の乱射事件が起こり、多くの人間が犠牲になることが起こりうる事実として認識されてはいないが、このまま行けばその状況に日本も陥るのではないかという不安である。
 
 日本は、世界の中では非常に安全な国である。銃の所持も認められていないため、一瞬で殺されることも起きにくい。駅などでも椅子の上に鞄を置いたまま席を離れても一瞬で鞄が消え去ることもない。そういった意味で平和で安全な環境に慣れてしまうと、その平和を乱す者に対しての抵抗力を無くしてしまうのだ。

 ある程度平和で、更に暮らしも世界では恵まれて幸せな国であったはずなのに、少しバランスが崩れただけで人々の心が荒む。色々な不安を抱え先が見えない世の中にいるというだけで明日の暮らしを心配しているようなものである。
 今の暮らしでも充分満ち足りたりた生活を送っているはずなのに、少し見方を変えただけで急に自分の暮らしが不安定な土台に依存しているのだということを認識させるからである。

 人々が、この不安を胸に日常生活を送れば、やがて心は荒み、自分の不満や不安をどこかにぶつけたくなるのは、当然の心理である。その生贄となる人やものを常に探すようになり、ちょっとしたことで簡単に不満は爆発する。そのやり場のない怒りをどこかにぶつけずにはいられないのだ。
 しかし、何時も不満を他人に転嫁できるとは限らず、その矛先は何時自分の所に向かってくるかもわからない。何の落ち度がなくとも勘違いをされてしまうことも有るだろう。

 今しなくてはならないことは、今の生活は、世界の人々の平均的な暮らしを充分クリアしていることを日本人が気付くことである。上を見れば切がないが、下を見れば自分たちの暮らしよりも劣る暮らしをせざる負えない人が無数に存在する。
 そういったことを再認識させる必要性は有るだろう。考え方を変えれば生き方も変えることができる。満ち足りた幸せは、向こうからやって来るのではなく、自分で作り出すものである。いくら高価なものを身に着け、使ってもそれが与えてくれる幸せは一瞬のものである。