下層社会ならず仮想社会

 晴れ、気温は、7、8度位だろうか、暖かくなりそうである。


 今の人間関係は、ネットワーク、携帯という情報手段を得て、それが無い時代なら、移動できる範囲での交流が主であったが、移動という手段をともなわずに関係を持てる範囲が飛躍的に広まった。

 この形態が今後も広まっていけば、人種や国を超えグローバルなものになっていくだろう。それは、国という縛りから市民が解放されることにつながると思われる。

 

 そういった将来国という行政機関の意味が問われることを前提に色々な制度を今から用意すべき時代に来ている。とはいっても、今の行政組織を作りかえることはおいそれとはいかない。

 それを変えようとすれば混乱が生じる。あるいはそれを変えるための切っ掛けが革命なのかもしれない。そしてそのスタイルがハードであれば、人が血を流すことになるが、それがソフトであれば血を流すことなく国の仕組みを変えることができる。

 ではいかにしてソフトに革命を起こすかと言えば、それは、色々な情報を洪水のように繰り返し提供することである。情報の洪水は、人を混乱に陥れるが、一度その流れの中から情報を取り入れる方法を覚えてしまえば、そこに入り込む事は容易である。そこに年齢の壁は無い。

 そしてその入り口を極めて簡単にすることでその実現の頻度は上がる。そのために情報端末を機能を変えていく必要があるが、その形態も既に情報化の流れに簡単に入り込むように機能が進化する過度期でもある。

 その情報化の波に国民の大多数が入り込むことが簡単にできるようになれば、次に進むことは、行政区の撤廃ということになるだろう。日本の47都道府県の行政区分は非常に狭すぎる。それは無くしても良いだろう。そこをなくし、国と市町村が直接的に結びつくことで一つの関門を減らすことができる。

 あるいは逆に日本を大きく6,7つに分け、それぞれを州政府とし日本という行政単位を無くすことも可能だろう。それは情報がスムーズに上位下達することができることが可能にする。

 また、もうひとつの可能性としてバーチャルな国家の成立である。その核となるものが今はやりのSNSだろう。インターネット上に登録された中からコミュニティーが作られあたかもそれが国家のように振る舞うようになる可能性がある。

 それはバーチャルが故に領土を持たず、その国家にあるのは、仮想現実である。

 そうなればその国の人間は、現実の国家と仮想化社会の間を行き来することになるだろう。頭に専用のヘッドセットを付け、偏光グラス越しに現実の世界を眺め、もう一つ広がる仮想社会に精神をトリップさせるのである。