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 昨日の夜は、冷たい雨が降っていた。そして今朝は、晴天である。雨に濡れたアスファルトが太陽の光できらめいていた。

 
 あの大地震から一か月、TVに映し出さされるがれきの山を見るたびに、まだそのまま手つかずの状態にある現状に気分が鬱になる。あれだけの大惨事、そんなに簡単にリセットされないことは承知の上であるが、あれが以前有った風景に戻る期間の長さを想像することができないでいるだけである。

 日本史の教科書を紐解くまでも無く、日本は今まで何度もリセットされてきた。古くは大化の改新になるのだろうか、そして平城京、平安京と言うように人心を一新しようという試みは、一世紀を待たずして行われてきたことである。

 そして時は流れ、大政奉還で武家社会が終わり、西洋風の近代化を日本も取り入れ何もかも投げ捨てたかのように日本そのものをダイナミックに変化させてきた。

 そして第2次世界大戦が日本を大きく変えた。その後の日本人のバイタリティは、さらに日本に変化をもたらした。終戦から六十有余年の間、何となく続いていた社会構造も、色々なひずみを抱え成長し、そしてそれまで日本の政治を執り行っていた自民党政権が下野したが、何も大きな変化は起きなかった。その代り日本人に別な意味でのリセットをもたらしたのが今回の大震災であったと思う。

 それは、日本人が今まで安全と教え込まれていた原子力発電が大事故を引き起こしてしまったという事実である。

 しかし、人の心は移ろい易く、更に直ぐに忘れてしまうものである。もしかすれば今回の災害も安全なところにいる人間は、災害が起きた事も記憶にに残らないかもしれない。事実、阪神淡路の大震災も数年経ち街並みが戻り始めるころには、記憶の片隅に追いやられてしまった。

 既に一か月、テレビがまず先に大震災を忘れたかのようにふるまい始めた。あたかも今まで通りに番組を作ることが自分たちの使命と思っているのだろう。
 しかし、今の空気は以前と違うことは間違いない。見ている人間は確実に変わっている。その映し出される画面に現れる映像がまさしく絵空事であることに気づいてしまった。

 そしてその後に行われた今回の統一地方選にしても、本来ならリセットを求められた筈だが、それを行うにはまだ日本人のエネルギーは回復していなかった。

 いま日本に求められているのは、大胆な改革である。今まで続いてきた既成の事実は、疑うものとして心に刻まれた。新しく生まれ変われなければ日本はこのまま消え去ってしまうことを感じ始めた。

 今までの安定はまさしく画餅だった。実際は切り立った峰の一本道を歩いてきたのだった。そして足元の石が転げ落ちる音に驚き立ち止まった状況である。この先進もうにも戻ろうにも一度立ちすくんだ心を平静に戻すにも時間がいるのだが、周りから聞こえる崖を転げ落ちる音に惑わされ思考停止に陥ってしまった。
 進むべき道は果たしてどこにあるのだろうか?その踏み出す足元が信じられない自分に対して失望し、心の弱さに更に心が折れそうなのである。

 果たして自分たちを安らぎの地に導いてくれる先導役は現れてくれるのだろうか?それは果たして天使か悪魔か、これから数年ジレンマを抱えながら過ごすことになるのだろう。

 今こそ色々なものをリセットし、本当に安全なものを選択しなければならない、今までの大丈夫という言葉も一度全否定してから前に進むべきなのだ、もしそれをせずに進むことになれば、今までと何ら変わりないことになる。
 
 今回の災害は、色々な事を日本人に考えさせる。