燃料棒溶解

 朝から小雨が降ったりやんだりしている。気温は5,6度程度と低い。

 福島第一原発の格納容器は、底が抜けて燃料棒が溶け出しているらしい。ある意味、事故を低めに見積もるために国民を欺いていたことになる。

 その理由が、国民の不安を抑えるため、あるいは世界に対する影響力を勘案して、そういった見えない力が今回まで明らかにされなかった理由だろう。

 今朝の朝日新聞で、東電が事故の対処に当たった報告書の内容が記事になっていた。その中で、事故が起きて電源が不通になり冷却系システムが機能しなくなった時点で、作業員が逃げ出すか考えたというような記述があった。
 
 しかし、逃げ出さなかった勇気を褒めたい。もしそこで職員が全て職場放棄したら、もっと甚大な被害を日本に及ぼしたし、日本に及ばず世界全体に悪影響を及ぼしただろう。それが起きなかっただけでも幸いだった。

 東京電力本体の様々な人間が、どのような行動を取ったかは、やはり検証されるべきであり、国の災害対策が基本的に正しかったのかを冷静に分析し、情報が公開されれば今後の反省点に繋がるだろう。

 しかし、溶け出した燃料棒の処置は、作業前の見通しよりより困難なものとなった。これに関しては、やはり最悪の事態を想定して見通しを考えなければ物事に対処してはいけないという教訓になる。

 この処理には、相当年の処理時間が掛かることが明らかになったわけである。

 そして原子力発電がこれまで絶対安全だという神話が崩れ更に追い打ちをかける事態になった。以前なら原子炉格納容器の破損は起きても軽微である安全であると言われていたが、それも机上の空論で、予想された最悪レベルの結果だったことは、大いに反省するべきだろう。

 いたずらに国民に恐怖を覚えさすのは問題であるが、荒れだけ大丈夫と繰り返された割には、やはりもっと重大な事故が起こりつつあったこと後で知らされた場合、余計驚きと怒りを生む結果となるのではないだろうか。