国難

 晴れ、しかし気温は、昨日に引き続き5度を下回っている。

 3月11日に大震災に見舞われ、その後日本社会は、色々な断面を見せている。それは平時には隠されていて、普通なら見えてこなかった部分である。

 あの大震災までは、日本社会は緩やかな死に向かって突き進んでいた。その旧態依然とした社会構造は、人間の体でいえば動脈硬化が進んだ老人の体ともいえる。
 その上手く行かなくなった体の動きを、少し老化の進んだ脳みそが動かし、衰えてはいるが手足は動くためかろうじて前のめりに進んでいたところである。

 そしてあの国難に見舞われたのである。

 日本は既に緊急入院すべき時期だったのである。そしてその間に腐った部分を取り除き、退院する時には、今までの飽食に慣れた体を粗食に耐える体にして社会復帰する。これこそが今の日本に求められていた。

 しかし、いざ手術になると、手術痔の痛みに耐えきれない心の弱い悪魔が登場し、外科手術より内科的治療で治らないかとか、執刀する外科医の腕が悪そうだから交替してくれとか言い始めたのである。

 確かに腕の良い外科医がその病院に居ればよいのだが、あいにくその病院には腕の立つ他の外科医が見つからない。グダグダしていると患部は腐り全身に毒素が回ってしまうというのにである。

 患者としてあなたは腕の良い医師を求めて手遅れになっても良いと考えるか、それとも今の外科医を信頼して手術を受けるのか究極の選択を強いられているわけである。

 更に言えば、今の腐った部分を取り除いただけでは、本来の機能が回復に至る可能性は低い、今までの旧態依然とした権力のあり方を変える力が必要である。

 その変革の力は、戦後徐々に築き上げられた格差社会を変える必要がある。その一つが世襲と呼ばれる権力構造の構築である。それを一度破壊しなければ次の新しい日本社会を作る原動力は得られない。

 その象徴の一つが、政治家たちである。まさしく世襲制で権力構造を受け継いできた、政治を職業として生きてきた人間である。その一種の貴族社会を破壊することから新しい日本社会は生まれる。

 しかし、それは新しい権力構造の誕生という弱点を持つが、今までの日本史を紐解いても、新しい権力構造が腐敗した権力構造を駆逐して日本社会を支配してきた。
 その繰り返しがまた起こり始める前兆を迎えたのだと思う。その支配構造が劇的に変わることで日本の地位が向上するのか低下するのか判らない。
 しかし、その支配構造の変化が今回の大震災で早まったことは確実である。これを国難とするか革命とするかは日本人一人一人の心の在り方にある。