荒れた庭

 曇り、気温は、北海道上空に入り込んだ寒気のために非常に低い。早朝は零度近くに下がったようだ。まさしく冬が来たような感覚である。
 まだ、真夏の余韻が残っていた9月から、月が変わったと言え、これほど寒暖の差が激しいと体調を崩す人が増えるのではないだろか。


 朝、通勤で歩いていると、きれいな庭だったところに雑草が生い茂った家に気づく。つい春先まできれいに手入れされた庭を眺めることができた家であった。夏頃から徐々に家主は不在だったようで、秋口には手入れされた庭一面が雑草に覆われてしまった。

 まだ、家は売りに出ていないので、何かの理由で家を不在にしているのだろう。このような風景を見たような気がしたなと思ったらそれは、福島の避難区域の写真である。

 人が手入れして庭が維持されている。一端人の手を離れた庭は、まるで雑草が主役にとってかわった様に姿を変え、背教のような姿となる。
 今までどれだけ人が何年も掛けて手入れをしていても、その年月を無視してその痕跡を消そうとするかのように侵食していく。

 しかし、良く考えてみれば、反対の事を人間がしてきたともいえる。何百年何千年と手つかずにされていた森も、巨大な重機を使い根こそぎ掘り返され人間に居住地に作り替えてきた。その作業はほんの数か月で行ってきたものである。
 人間が自然を変え、そしてまた自然がそれをまた元に戻そうとする繰り返しが今までの歴史の一部だったのである。