パンのみ

 曇り、外気はマイナス20度近くに冷え込んだ。この気温の中を戸外で仕事をしている方は本当に偉いと思う。


 「人は、パンのみでは生きられない」と聖書は語る。その後に「神の言葉の一つ一つによって生きなければならないと」続く。

 あとの言葉が無ければ、人は食い物だけでなく、他の欲望のために生きていると解釈する人もいるだろう。

 本来なら、そういった物欲を捨て去り、神の導きに沿った生き方をすることが正しい生き方だというのにである。


 今の人間社会の行動原理は、毎日の食事を得るために働くのではなく、それ以外の金銭欲とか名誉欲、さらに如何に快楽を得られるかが働く目的になってしまっている。

 ある者は、その働くことさえも捨て去り、人からの恵みを待つだけの生活を望むようにさえなっている。

 それが近年急に増えたという事ではない。いつの時代も一定層は存在するし、そういった人間が、働く意欲に目覚めないわけでは無い。

 だけれども、人間の物欲などの欲望が無ければ社会に仕事は無くなるわけで、人間社会の活動のエネルギーとさえなっている。

 人は、どれ程働けば良いのであろうか?

 その限度を、だれも教えてくれない。

 もし、誰もが働くことの意義を知ることができれば、働き過ぎのものは仕事をセーブし働くことを求めている人間にその仕事を与えなければならないし、更に働かず者に対しても、何らかの働きを求めなければならない。

 SF映画のように、近代的な建物の中を優雅に歩き回る人間社会は当分生まれなさそうである。