つづき

 曇り、気温もマイナス20度近くまで下がった。吐く息は白く、顔に冷気が突き刺さる感じである。これで風が有れば凍死してしまう。


 昨日、福島の除染の話を書いた。もし、簡単に元の状態に戻すことができるなら、自分も除染作業を行う事は賛成である。

 簡単な作業とは、砂の中から砂鉄を磁石で選り分けるようにできるならということである。

 しかし、現実問題、細かく散らばった色々な種類の放射性同位元素を砂の中からより分けるのは困難である。

 実験室レベルでは、色々な器具や装置を使い選り分けることは可能でも、実際の現場で何時間もかけて作業ができるかというと簡単ではない。

 もし、国が除染作業を行ったとしても、それ相応の放射性物質はそこに残る、元の状態に近くなるまで作業を続けたとして、年月による自然減衰の期間より早く終わるだろうかという疑問が残る。

 作業を続けて、漸く100年で除染できましたという結果になるかもしれないわけで、そういった理解をそこに戻る住民たちはする必要がある。

 100年掛けて、国家予算に匹敵する額を投じて作業行ったとしても、その間は、必ず被曝という影響を受ける。

 100年経てば、何もしなくとも今の10分の1程度には、自然に放射線量は下がる。

 日本で初めて起きた大規模な原子力事故の教訓は、果たして日本人に植え付けられたのであろうか?

 原子力発電所が、比較的人口の多い地域から離れていることで、もしかするとあと数年もすれば、今回の事は、都会の人間には忘れられてしまうかもしれない。

 

 今回の教訓を生かすなら、原発の新設を許可する場合、受益者負担の原則から、受益者の住む地域の中心に必ず作らなければならないという法律を作るべきだろう。