日本人

 晴れ、気温は今はマイナス10度近くに下がっているが、日中は、プラスにはなりそうである。

 日本人と書くと日本国籍を持つ人であるが、それを主語にして書くとあたかも平均的な考えを持つ一人の人間のような感じがする。

 「日本人は勤勉である」と書けば、どの人間も真面目に仕事をするように感じる。しかし、現実は、真面目な人もいれば不真面目な人もいる。

 高度経済成長の時代、日本人は勤勉と言われるほど多くの人間がモノづくりに励んだ。その結果世界から勤勉、真面目というレッテルが張られると同時に、国内では勤勉、真面目が格好悪いという風潮が出始め、マスコミなどは、もっと不真面目になれと囃し立て、ある意味真面目を差別するような時代を迎える。

 その結果、日本人と呼ばれる定型化された人間は少し不真面目になる。そしてそのころ総中流という言葉が流行るように、多くの家庭がそれなりに裕福になり、地位と名誉を求めるようになり始め、いわゆる教育ママを産みだし、如何に将来自分たちのような人間ではなく、地位と名誉を手に入れるかを子供に託すようになった。

 そして今がある。日本人の男性は草食化し女性は肉食化したと言われるが、総じて若者の多くは優しい人間になった。

 過去の日本人がその時代時代に武器をとり、争いを繰り返した頃とうって変わって、今は平和的に物事を考えようとする人間が増えたように思う。

 総じて日本人の平均がそうなると、今度はまたその反動で、男性を肉食系に作り替えようと動きが出てくるわけである。将来の争いの時代がやって来ることを空気が感じさせるのだろう。

 

 今の日本人の姿は、ハッキリ言えばオカマのようなものだと思う。それに合わせてあれ程、テレビに男か女か判らないような人々が大勢登場するのだろう。

 

 日本人の姿を一つに矮小化したレッテル張りは良くは無いことを承知の上で書かせてもらえば、日本人はオカマの国である。

 今回の大災害、経済の不安に対して、総じて日本人の意思は、中性的な物の考え方が主流になっている。それは、まさしく時と場合によって思想が変わるまさしく優柔不断というべきものである。

 

 そう断言してしまうとオカマの皆さんに失礼だが、男でもあり女でもある曖昧な存在を許す、あるいはそれを奨励する社会は、間違いなく世間の空気が認めている結果である。

 

 この先の日本人の姿を予想することは困難である。果たして10年20年先はどんな姿に変わっているのだろうか。