思いついたこと

 晴れ、風が冷たい。

 何時からか日本人は、と書くと、まるで不老不死の人間が語るようになってしまうので、人間という物はという書き出しで書こうと思う。

 人間という物は、自主的に行動する人間が2割、時たま自主的に行動する人間が6割、殆ど自主的に行動しないものが2割と群れの中で別れる。

 待てよこれは、どこかで聞いた話だと、それは、蟻の話と同じである。その話は、パレートの法則と呼ばれている。ググれば色々出てくるので詳しいことは書かないが、例えば、「日本人の富の8割は、2割の人間で占めている」というような話である。

 さらにこれは、働きアリの、2割が働き、6割がある程度働き、2割が働かないという話に続くわけです。実際の蟻の世界で本当に2割が働かないのか、そのように見えるだけで、実際は別な役割のために行動している。あるいは観察している人が見ていない間に行動するなどの理由が考えられるのだが、本当の事は判らない。

 例えばライオンなども、オス一匹でハーレムを作るが、獲物はそのハーレムに居るメスが担当で、オスはだらけているという話を聞く。

 最近起きた、尼崎の連続殺人の主犯も、手下に暴力行為をさせているだけで自分では動かない、丁度群れ社会のボス的役割を果たし、その下に居る部下たちは、上の指示待ちで行動を起こさない。或いは、行動を起こせばボスに制裁を受けるため自粛するというような状態だったのだろう。

 これが人間の本質なのだろう。群れ社会には必ずボス的存在が居て、部下を従える。その部下は、上意下達の命令を確実に実行することで何らかの褒美を得る。褒美を得るためにボスに忠誠であろうとするし、その褒美を貰えない部下は、いじめの対象になる。

 その普遍的構造は、どこの世界でも起き、何ら変わることは無い。それを変えようとするときは、そのボス的存在を倒し群れのボスにならなければならない。その話も、サル山のボス争いやクマ牧場のボス争いと全く同じである。

 ある程度物事を考えられる動物は、本能的にそのような同一の行動をとるのだろう。

 この一連の話は、人間の遺伝子に刷り込まれた行動なのだろうか?それとも社会生活を送ることで身につく行動様式なのだろうか?

 はてさて、自分はボス的存在を目指すのか、それともそれ以外の存在になるのか、それも何らかの遺伝的素質が関与しているのか、それとも生まれた後の環境に作用されるのかこれも調べれば、自己を変えることができるのかもしれない。