あれから一年

 晴れ、気温はマイナス5度くらい。足元の雪道は、ザクザク氷と融けた雪がツルツルに凍ったところがあり歩きにくいことこの上ない。


 いよいよ明日が震災から1年が経とうとしている。普段、生活する上で特段不便を感じずにいるのだが、やはり震災の記憶は蘇る。

 北海道は、一年を通して大きな地震が来ることが無く、起きたとしても震度3程度のものである。それでも怖いと思うのに、あの時の揺れは今思い出しただけでも背筋が寒くなる。

 自分がそう思うくらいだから、本当に被害に合われた皆さんの恐怖は消えることが無いだろう。

 あれから一年経ったけれど、その震災からの復興に対して本当に我々が努力してきたかというとそんな風には感じられない。
 逆に、時間が経つとともにそういった記憶を忘れようとしてきたのでは無いだろうか。

 あの震災に直接被害を感じなくとも、日本人が日本人らしくあるために助け合おうという気持ちを無くしてはならないだろう。
 
 その中で、やはりそういった基盤を今まで失ってきたことが今まさに燻され今にも発火しそうになっているのが、大阪で起きている「君が代」問題なのだろう。
 今までの教師の教えは、如何に国の命令の元、戦争に向かったことを反面教師にし、戦争の時に絶対だったものを否定しようとしていた。

 国家主権という意味でも「君が代」は、戦争反対という名目上否定せざる負えないものだったというのは良く判る。

 しかし、そういった事も本当に戦争を経験した世代だけが持てるものでしかない。戦争を経験していない世代が消化吸収するには、余程気を付けて教育を受けないと難しい。

 そこに今の日本復興へ向けた取り組みを行う上で、一枚岩に成れない弱点でもある。本来なら、国旗国歌の元日本国民であると朗々と歌いながら集わなければならないときに、それがある故に一致団結できないとしたら大問題である。

 一年を迎え、それに対する感慨は大きい。何故、復興に向けて最大限の努力ができない環境を日本人自ら作り上げたのだろう。
 瓦礫の問題しかり、放射能汚染問題しかり、個人の利益のために国益をないがしろにするのはどこかおかしいだろう。
 
 自己犠牲と助け合いの心が無くて社会は動かない。