澱み

 雨または雪たまにみぞれと天候は良くなく、風も時たま吹くためまったくもって寒い。これが四月の天候とは思えないほどである。


 北朝鮮の人工衛星と核実験の準備は、若い統治者を国民的英雄にするための必死の演出なのは判る。それを知りながら周りの国が慌てることで更にそのショーを盛り上げることになるのは、残念なことである。

 もし、何らこの先被害に会わない保証があるなら、きっと無視する事柄に違いない。北朝鮮国民は、韓国や日本がTVなので自分たちの国に脅威を覚えている報道を見るたびに自分たちがあたかも強国になった夢を見るのだろう。独裁国家というものはそういうものである。

 日本も、大阪に代表される威勢の良さに、何かを期待し始めている。その構図は、北朝鮮と何ら変わりない。その威勢の良さが物事を本当に解決してくれるものだと思っているが、もし本当に、日本の国家権力がそういった単一的な考えを元に動くのだと考える人がいるのだとしたらそれは誤りである。

 もし単一的な思考の国が出来たら、それはまさしくいつも避難している北朝鮮と同じである。

 ただし、それを時代が求めているならそういう仕組みに日本も変わって行くのだろう。そう変わる前に、日本人が多様性を認めながら、もし行動ができるならその方向には向かないのだが、如何せん日本国民は、直接的な被害にばかり目が行きがちで、少し離れた視点からの物の見方ができない。
 
 確かに、直接的な被害が有るのかもしれないが、将来、大きな観点で見れば大きな国民的利益が得られるという事が判っていないのだろう。まさしく幼児的思考に近い。

 威勢のいい話を聞くと、何か自分たちもできるような錯覚を持ってしまう。それがアジテーターの狙いである。自分たちの言葉だけで勝手に周囲が動いてくれればこんなに簡単なことは無い。
 しかし、残念なことにそのアジテーターに、将来の確約は何もなく言葉で遊んでいるだけである。更に悪いことにそれを利用しようとする人間の寿命が短いことである。

 それにつられて動いていると、間違いなく若い人間たちは将来生きづらい生活をしなければならないことである。今の現状は、年寄りに澱みをかき回されている状況である。そして、その老いぼれは早々に消えて行く。そこに残るのは、飲み水には当分使えそうもない濁り水である。そうならないためにももっと自分たちの生活を作るために若者は行動すべきだろう。