自然

 朝もやが街を覆っている。今朝もプラスの気温なので積もった雪から出る水蒸気が冷やされた結果なのだろう。

 このところの気温上昇で雪の薄い所は、既にアスファルトが顔を出している。それでもうず高く積まれた雪が全て融けるには相当の時間が掛かりそうである。

 今朝のニュースで、東京、静岡は、気温が20度を超すそうである。遠く離れた北海道は、プラスの5度程度なのだからうらやましい。今、20度を超す暑さに成れば、殆どの根雪が融けてしまうだろう。

 でも、春先のこの時期でその気温なら、夏場はもっと暑いわけで、きっと北海道人は暮らしていけそうにないのではないだろうか。

 本当にここ数年気温の変化が大きくなっているように感じる。この変化の大小も、地球の大気の気温を変化を最小にしようとする自然の調整機能なのだろうが、その変化に人間はついて行けるだろうか。

 冬場に北海道で、猛吹雪で死傷者が出たように、夏場には猛暑で死傷者が出るだろう。この気温の変化は、人間を次の時代へと導くための試練なのだろうか。

 地球が誕生して、硫黄と2酸化炭素の時代からタンパク質が生まれ生命が誕生したように、この先この自然の変化が強烈になった時、その生活環境に順応した人間だけが生き延びて次の世代にバトンタッチするのだろう。それが自然であり、人類もその流れにそって生きざる負えないのだろう。

 これを神の試練などという輩が生まれ、変な宗教が生まれるのだろう。そう自然に対して無力な人間の心に答えられるのが神の存在だからである。

 自分の無力さを納得し諦めるために神は生まれたのだと思う。その絶対的な力の前に諦める心を慰めるためにである。

 しかし、自然というものはそういうものであり地球は、誕生した時からその意思とは関係なく宇宙の中で存在するのである。

 もし、人間が寿命を超えた存在で、地球誕生の日から、今の時代までこの地球の歴史をつぶさに観察していたのなら、地球上に住むあらゆる生命体が、この自然環境のなかでどのように順応し、そして滅んで行ったかが判るだろう。そして、今の人類も、地球の歴史の中の一コマを占めるに過ぎない存在であると知っていると思う。

 そしてその存在は、神などでは無く、永遠の傍観者であり観察者なのである。この世に神は存在しない。


 まあ話は、極端になってしまったが、新聞報道で報じられている南海トラフ震源とする大地震の被害予想であるが、これも壮大な影響を日本にもたらす。

 もしこの被害が日本に発生したら日本沈没に匹敵する大惨事に合う事に成る。それは想像の域を超えるだろう。ただしこれは今のところ予言に近いお話である。

 何時どこでというところが今の科学の力では、言い当てることができないからである。もしかしたら大地震は、明日かもしれないし、100年後、200年後なのかもしれない。その時期が既に判っているのならだれも苦労はしない。その時期に合わせて民族の大移動をするだけである。

 

 しかし、今はその大地震がいつ起きるか判らない。それは、日本が国に成り、ここまで高度成長を続けた期間も変わらずあった予想なのである。いつ起きるか判らない地震に備えるため日本人はどこかに移り住むことは無かった。

 

 にもかかわらず、今回の大地震による被害規模をいくら試算しても仕方が無いともいえる。いつ来るか判らない大地震に備え日本人がこの国からいなくなってしまえば、被害額は減少するだろう。

 

 地震に備え高台に移転するのも良いし、製造設備を世界各地に分散させるのも良いだろう。ただし、その被害はいつ起こるか判らない。その時期までもし完璧に地震対策をするなら日本には多くの人が生活できなくなる恐れがある。何故なら産業構造が変化して生産するものが無くなり消費だけになってしまったら、だれが日本のこの借金を返すことができるだろう。債権国家に転落である。それだけで多くの人の命が失われてしまうだろう。

 地震で滅びるか、地震の備えで滅びるかどちらを選択しても状況はあまり変わらないような気がする。今回の件は、できることか少しずつ備え、それまでに大地震が来たら、砂の城ではないが、また少しずつ作りなおすしかないのだろう。