情報

 土日と、大荒れの天気だったが、今日は曇りである。土曜、日曜と低気圧の影響で気温が高かったので、少し肌寒い。

 朝からテレビでは、ファイターズとAKB総選挙の話題と昨日の大荒れの天気の話題を流していた。極めて日本のテレビ局は、お気楽である。既に、日本人の若者などは、そういったテレビの影響から離れ始めているののだと思う。

 そういった話題の情報は、テレビから受け取るのではなく、ネットのニュースサイト、或いは、ツイッターなどで受け取っているのだろう。

 後、5年もすれば本当にテレビ局の情報伝達力の影響力は目に見えて減少するだろうし、今の60歳以上が徐々に減って行けば、テレビを見る層は今よりぐっと少なくなるだろう。

 では、そのままネットだけの情報量で暮らしていくとどうなるか、今まで世間の情報を、新聞、テレビに偏った世論操作をされていたものが、今度は、ネットの偏った情報によって意見を左右されるようになるだろう。

 本来なら、ネットと新聞テレビがお互いに監視し合うような体制が望ましい筈なのに、どうしてもお互いを駆逐し合おうとするようになる。

 そうなるとお互いが補完し合う体制では無く、お互いに必要な情報を流さないというような情報戦という形になる可能性もある。

 一番、国民にとって望ましいのは、お互いの情報操作をさせにくくするような体制である。それは、必要な情報は、その形のまま伝えれれるというのが望ましいのである。

 しかし、今の事態はそうなっていない。本当の真実の中に嘘の情報を紛れ込ませ、何とか別の方向へ持って行こうとするある種の電波のようなものが混ざっているのが事実である。

 今日の朝日新聞の中面に、本当は石田三成は、悪くは無かったとする記事が記載されていた。それは、徳川が天下統一するために、徳川家を正当化するための理由の一つとして石田三成が悪役になったという説である。

 歴史としての評価は、このように400年以上たっても評価は定まらない。もしかすると後の世には、どんな悪党でも評価は真逆になる可能性も存在する。それは、人が歴史を解釈するからである。そしてその解釈する人間は、石田三成と同時代に生きたわけでもないし、その石田三成本人でもない訳である。

 このように、歴史的人物の評価が簡単に変わってしまう世の中で、何が本当で何が嘘なのかを見抜く力を、多くの人が持てる訳は無い。

 現代を生きて行くには、状況を判断する能力が是非必要である。そのためには、一つの情報に惑わされないようにすることが大切である。上にもあげたように、本当の情報と嘘の情報が乱れ飛ぶ世の中で、一つは、自分が見たものが一番であるが、その現実に見たものさえ真実とは言えない可能性があるのだから始末に悪い。

 正しい情報のなのか判断する材料として、その媒体同士がお互いを監視し、情報操作による情報が混ざっていないか監視してもらう事が、判断する側にとって重要である。