ヒーローはいない

 晴れ、気温は朝の6時で1度と低い。それでもそろそろ4月も後半、コートを脱ぐことにした。

 安倍政権の支持率は依然高めである。それは、今までの民主党政権の期待外れに対する反動のようなものである。決して、心から支持しているものではない。勝ち馬に乗っているときは、早々、降りることは無い。

 しかし、絶えず、その座から引きずり降ろそうとする力が働いている。それは、主義主張から追い落とそうとするのではない。権力の頂にいる人間をその座から引きずりおろしその人間が普通の人と変わらないという事を証明したい、更に、自分たちより更に卑しい人間だという事を証明しようとする力である。

 昔の小泉政権の時もそうだった。国民の支持率が高いが故、新聞、週刊誌の小泉おろしは凄かった。たいしたことでもないことを針小棒大に捉え報道する。全く政治とは関係ないプライベートな事でも書き立てる。

 これは、何時から始まったことだろう。あのロッキードで辞めた田中角栄の時でも、総理時代に私生活を暴かれることは無かったと思う。

 徐々にそのプライベートの情報が出始めたのは、宇野宗佑が辞任した報道が初めてではないだろうか、その頃から総理に対する報道側の姿勢が徐々に変わり始めた感がする。その後のインターネットの普及し始めた森喜朗の時代頃から、今まで記者クラブというある意味情報を流す流さないという取り決めを行っていた組織自体がその力を弱めたことが今になったと思う。

 その後、政治家のスキャンダルは、世の中のタブーでは無くなり、今では芸能人と同様に扱われるようになった。それは総理大臣も同じである。

 それは、世界でも同じで、それが出来ない国は中国や独裁国家くらいだろう。

 ヒーローは何時までもヒーローではいられない。いつかその仮面は剥がされ、白日の下にさらされる。それは、ニュースにもならない一般人でも同じである。何かの切っ掛けで、情報が晒される時代である。

 何時かヒーローが現れることを期待しながら、ヒーローが現れると、そのヒーローの存在を嫌がる時代なのかもしれない。