スマホながら族

 晴れ、気温は2度くらい。見た目と体感の落差が大きい。そろそろ庭の木の葉も色付き始めた。見頃は来週か。

 今日のニュースでスポーツ新聞の記事を紹介していた中に、「警報機が鳴り遮断機が下りた踏切をスマホを操作しながら侵入し電車に撥ねられた」というのがあった。

 警報音と物理的障害物が有りながら何故侵入したという疑問が湧く。幾らなんでもそれは無いでしょというところである。

 この記事は、暗にながらスマホの害を訴えたいのだと思う。本当に歩きながら、自転車に乗りながら、自動車を運転しながらという、スマホながら族が増えている。昔から携帯電話でも同じ状況だったものが、手軽に情報を手に入れることができるスマホが登場してからその状況が悪化している。

 自分が歩いていて良く見るのが、自転車に乗りながらのスマホである。さすがに朝早くは、電車の乗車時間が近いためそんな余裕は無いのだろうが、多いのがやはり帰宅時の自転車に乗りながらのスマホである。最近暗くなるのが早いので、暗闇に浮かぶ光で顔を照らしながら無灯火で自転車がこちらに向かってくるのを見て唖然とした。

 確かに日本の道路は整備され穴ぼこや障害物が道にあることは少なく、画面に集中していてもそれ程危険な事に遭う事は無いだろうが、それとすれ違う歩行者や自動車にとってこれほど危険なものは無い。

 自分でも何か考え事をして、信号を見落としたり向かってくる自動車の確認を怠ることがある。それは、普段交通量の多くない道でつい油断するのだが、それでもハッとすることがある。


 ながら族と言えば、ソファに寝ながらテレビを見る、おやつを食べる等というものだったが、昔は、ヘッドフォンで音楽を聴きながら歩く程度だった。さすがに雑誌やマンガを読みながら等という人間はいなかった。それは、見栄えが良くなかったせいもあるだろう。しかし、今ではスマホからイヤホンで音楽を聴きながらスマホを操作する人間が増えてきた。電車の中では特にそうである。その延長上に歩きながら自転車を乗りながらがあるのだと思う。

 目と耳の感覚を奪われて歩くのは、人間業では無い。現代では、少し注意をそらしただけでどんな危険が待ち受けているか判らないからである。もしかするとそういった感覚を超えた新人類がこの先の未来に増えて行くのだろうか?

 あるいは、スマホにレーダーが搭載され歩く方向に何らかの危険性が迫ればアラームを鳴らすと言った機能が追加されながら族にとって安心して使えるスマホに進化していくのだろうか?