解体

 曇り、雨が上がった後で路面が黒く光っている。気温は8度と秋の朝である。今週は、紅葉がどっと迫るかと思ったら今の時点で3分くらいでゆっくりと進んでいる。銀杏並木も少し緑から黄色身を差してきたかという程度。

 今日は、週半ばでいつもより時間が経つのがゆっくりしている気がする。仕事が暇なわけでは無いのだが、きっと解決しなければ問題があり、それに対して解決方法を模索しているところであるのがその時間間隔を鈍感にしているのだと思う。物事が短時間で解決していけばそれなりに一日が順調に経過するのに、どうしようと考える時間が、何となく心にブレーキを掛けてしまうのである。

 何事もなく、今までの決まりごとをそのまま素直に辿って行く分には面倒は無く一日が過ぎるのだが、いざ何かを代えようとすると、それに対する反発はある程度覚悟しなければならない。それは、組織が長年存在すればするほど保守的になり、内部から革新的な声が上がるのを抑え込もうという見えない手が働くからである。

 

 組織が若ければ、代えて行くのは当たり前の事であるから職員の意識も毎日物事を作り替える作業に没頭できそれに対する反発は中々沸き起こってこない。しかし、いざシステムが固定化するとそれを新しい流れに変えていくことは並大抵の努力では変えることができないことが往々にしてある。

 

 そういった事をまず阻むことが、お金が無いという単純な理由づけであることが多い。お金を掛けずとも何とか60%程度は達成できそうな場合もあるが、その時には相手は100%の達成を求めてくる。完璧なシステムを作り上げるにはそれなりの費用と努力が必要なにも拘らずそれに対して協力をしない人間がそれを求めてくること自体、組織は弱体化していることになる。そしてそれを統率すべき人間がそれを発揮しなければ、物事の解決はほど遠いことになる。

 その反面教師とすべき素材は実例を上げれば切が無いほど溢れている。例えば昨日から話題となっている阪神阪急の問題や、今でもだらだら続いているJR北海道の問題、全てにおいて組織の崩壊が、長年続いた伝統企業であるからこそ起きるという事実を表している。

 全くもって、組織は必ず弱体化する。それはそれを形作る職員も併せて考えが保守化することに端を発している。それを新しいことにチャレンジする組織に変えるには、組織を新たに作り直す程度の努力は必要で、そんなことをするのなら一から新しい組織を作り上げる方が簡単なくらいである。何故なら不平不満分子をその時点で清算できるからである。

 ただそうやって一から解体的努力を行って新しい組織を生み出しても、また20年30年経てばまた同じような状態に陥る。そういった解体的努力をしてきた人間が管理職になった途端、昔の事を忘れ安定したものを求めてしまうからである。

 そうして、また同じことを繰り返していくのである。