猫h

 曇り、気温も8度くらい。


 我が家にも飼い猫が居るのだが、時折居間の出窓に座り、外の窓ガラスに張り付いた虫を見て懸命に猫パンチを食らわしている。飼い猫にとって外と内を遮るものがその窓ガラスという事に成る。

 そして、うちの近所にも野良猫が居る。餌を探しているのか自由気ままに人の庭を行き来している。その猫と飼い猫を遮るものは窓ガラス一枚でしかない。

 飼い猫は、寝場所と餌が余程のことが無い限り保障されている。その代り、移動する範囲は家の中の空間でしかない。たまに車に乗せられ動物病院に移動するが基本的には限定された空間で生活している。

 方や野良猫は、ねぐらは決まっているのだろうが、食事は自分で調達するしかない。誰かが餌を用意していてくれているかもしれないが、無ければ自分で探すしかない。

 ねぐらにしても夏場は良いが、冬に成れば氷点下に成ることも有る北海道で一冬越すのも容易では無い。たまに自分の家の車庫の車のボンネットの上に泥のついた猫の足跡がついていることがあるが、冬場の暖を取るのに利用しているらしい。

 飼い猫にとって窓の外に広がる自由空間をどのようにとらえているのだろうか?人間にも個性があるように猫にも個性がある。いつも逃げ出そうと虎視眈々と人間の隙を伺う猫もいれば、玄関のドアが開いていても恐る恐る顔を出すだけで物音がすれば直ぐに家に逃げ込む臆病な猫もいる。人がそれぞれ持つ価値観が違うように猫にとても価値観の違いがあるのが面白い。

 もし自分が猫だったら、一度外の世界がどんなふうになっているか知りたいと思うだろう。家の外が内と同じように地球という空間であるなら、それは自分が居ても良い空間だからである。ただ外国に行くと感じるのだが、自分が本当にここにいて良い存在なのかすごく気になる。それは、周りが見知らぬ空間というよりもそこに住む人たちの視線に有るのだと思う。

 人間にとって他の相手から受ける見知らぬ存在を探る視線程緊張させるものは無い。それは日本でも同じで警戒厳重な施設に立ち入る時は緊張感を感じるそういった感じである。

 猫にとっても飼い猫に生まれたかった、或いは生まれて良かったと感じるものもいれば、野良猫の生活の方が素敵だ思う猫もいるだろう。自分が小さいころに飼っていた猫はどれもいつの間にか居なくなり時折現れる猫ばかりであった。自分が大人になって飼う猫は既に4匹に成るのだが、どれもが家に居つこうとする猫ばかりである。一匹の雄猫は一度脱走したけれど数日後に家に戻ってきた。そしてその後外に抜け出しても家の周囲をうろつくだけで直ぐに家に入れてくれと鳴いている。というように野良猫に不向きな猫ばかりを飼っている。

 人間が飼い猫と野良猫の暮らしを比較することは、猫にとって何の価値の無い物なのだろう。もし、本当に猫が感じていることは何なのか人間が全て理解できるわけでは無い。理解できるのは、餌とトイレの掃除の要求ぐらいだろう。