人生いろいろ

 雨、気温はプラスの8度と暖かいが、風が強く体感温度は零度近い感じがする。この強い風に乗ってどこからともなく落ち葉が道路脇に吹き寄せられている。

 最近、物事がすごく面倒に感じ始めている。それは生きているなら波のように上下動を繰り返すものである。その波の底辺に来ているのを自分でも感じている。

 その浮き沈みというのは、丁度朝のテレビ番組の星座占いのようなものであるが、あちらは毎日好調、不調の変動が激しく、振動のようなものだが、人の好調不調は、バイオリズムと呼ばれるような大きなうねりのようなものだと思う。

 一時期、バイオリズムがもてはやされ、人にも感情や身体、知性に波が存在するのだという説が広まった。バイオリズムの波は、規則正しく周期的に好不調の波が訪れることになっているが、実際の好不調の波は規則正しいものでは無く、ランダムにその周期を繰り返し、決して正弦波のような美しい波を描くことは無いと思われる。

 感情の起伏は、病的な影響が無ければ、色々な外的要因で変わる。その要因が強ければ強いほど感情は影響を受け気力は下降する。しかし、その下降は、何時までも続くというものでは無く、その外的要因を自分で克服したり、或いは他者が取り除いてくれることにより、状況は刻々と変化し、その姿を変えていく。

 また、その変化は人により異なり、誰もが同じというわけでもなく、その要因が長く続けば続くほど、病的影響を考慮しなくてはならないだろう。

 そういった、感情の起伏が短い人、長い人というのも存在するため一概にこういうものだと定義することはできないが、長く人生を送れば送るほど自分を冷静に見ることのできる別な部分が出てきて、その時の自分の状態をまるで他人が見るように自分を分析できるようになる。

 自分は、落ち込んでいる。あるいは気分が乗らないなど色々ことを気付かせてくれるし、その気分が乗らないことを理由にして仕事をさぼるあるいは手抜きをしようとする自分が存在することを自分自身で認識し、更に自己嫌悪に陥るようになるのである。

 この気分の上下動を解決するのは、自分が8割、他人とそれ以外の要因が2割といった所だろうか、人によりその2割の部分が大きくなる環境の人はいるだろう。その要因が大きければ大きいほど自分では解決することが出来ず、迷路にはまる可能性も大きくなる。

 そうなった時、やはり自分一人で問題を解決するのは不可能な事となる。その問題解決方法を他の人や組織に頼らざる負えないし、そうすべきである。自分が解決できないことを無理やり解決しようとしても、結果的には何た変えることはできない。

 また、その解決をいつまでも放棄していては、他人からは、怠けているとしか見られない。そうして更に追いつめられるという悪循環を繰り返すことになる。

 自分で抱えきれない問題がある時は、まず誰かに相談することが良い。しかし、くれぐれもその際は相談する相手を間違えないようにすることである。怪しい宗教や組織にはまれば、問題から逃げ出すことと同じ結果になってしまう。自分の人生を変える方法は、決して宗教や怪しい教義では無く、あくまでも自分自身だという事を忘れてはいけないだろう。世の中には色々な人がいてその中に善意だけではない悪意を秘めた部分が少なからず存在するからである。

 自分の心の落ち込みから宗教まで辿りついてしまったが、人生の悩みは一朝一夕では解決しない。明日にでも解決できる悩みは、悩みの範疇に入らない。

 実際、自分が目の前に抱えている悩みは、自分自身でその問題を解決できる能力が足りず他の人の協力を得なければ解決できないような悩みだからである。それが出来なければ本来の解決方法は無いと理解しているものである。だから自分自身で解決できないことによる高い壁の前に誰に足場を作ってもらうかあるいは誰の足場に成るべきか悩んでいるから気分はすぐれないのである。

 こういうように言葉を書き連ねて行けば、自分がどのような問題を抱えているか、それを如何に解決できるか解決できないのか整理がつき、解決できなくても不安感をある程度和らげてくれる。最終的に辿りつくのはこれも人生あれも人生という事である。

 そしてその人生の困難さを歌ってくれていた島倉千代子さんがお亡くなりに成られた。合掌。