カーリング

 曇り、街灯の灯りが白い光を放つくらいに暗い。気温は、マイナス4度。


 2日前から始まったカーリング最終予選。家に帰るとまず録画放送から視聴を始める。

 カーリングは氷上のチェスと例えられるが、駆け引きはチェスだが、チェスは駒を移動できるが、カーリングはできない。相手や自分の駒を弾くことで形勢を変えるところはまた違った感じがある。

 何でこんなにカーリングを面白く感じるかというと、あの変化する氷の上で目標にストーンを限りなく近くに置く技術に見入れらるからである。あの目標に向かって投じる姿は、ゴルフでいえばショートホールでホールインワンを目指すようなものである。それをピタリと合わせる技に見入ってしまう。

 しかし、それを退屈だという人がいる。その好き嫌いは、カーリングの本質の駆け引きというゲーム性に興奮するしないに通じる。

 カーリングを見るのが好きな人は、きっとギャンブルが好きな人に違いない。ここで断っておくが、カーリングが好きというのは、するのが好きというわけでは無く、見るのが好きか嫌いかということである。

 ちょっとしたタイミングのずれでミスショットが生まれ、それが大逆転の引き金になる。実際にゲームをしたら一流になれば成る程心をすり減らすスポーツに違いない。

 しかし、見る方はソファーに寝ころびながら気楽に見ているわけで、そこにあるのは、走る馬を見ながら一喜一憂している競馬好きの親父さんの方に近いと言える。

 

 そして昨日のラトビア戦は、つい見入って実のところ寝不足である。週末も試合が続き、それをすべて見てしまえば仕事に響くレベルである。録画だけに専念すれば良いが、結果が判ってしまうとすごく退屈になってしまう。だから録画予約しているのに係らずわざわざ見てしまうわけである。

 今日から強豪国との対戦が続き、上位の中国、ドイツに勝てるかで日本のオリンピックの期待度が上がってくる。