大震災から3年

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 今日は、あの大震災から3年が経ち4年目を迎える。朝からテレビではその時の事、それからの事をニュースで流し始めた。しかし、あの大津波の映像は流れない。それは被災者の方の中にその映像を見ることでPTSDを起こす場合があるからだろう。

 震災から3年、人々の中に、覚えておきたい記憶と忘れてしまいたい記憶が混在しているだろう。その中で震災時の記憶を忘れては復興は進まないし、その記憶を消してしまわなければ前に進めない。その現実の理論の前で我々は選択が迫られその時々で決断してきたわけである。

 その決断の重さはみんな知っているし、その決断が早くも間違っていたという事も実際にある。その決断の間違いを直ぐにでも解消できるのならだれも苦労はしないのだが、その間にお役所という組織が挟まるともう身動きはできない。間違っていたであろうものも予算執行という名の元に粛々と進められ誰も異議を挟むことができない。それが行政という者なのは誰しも判っているのだが、誰もがそれに対して及び腰である。それは諦めの心と同じである。

 今朝のニュースでは、震災にあった人たちが地元に戻らず、移住先に定住する動きが強まったと出ていた。3年の間に元の街並みが取り戻せるのなら戻る人も沢山いただろう。しかし、3年経っても建物は経たず、大きな立派な堤防は建っただけ。底に元あった町並みは戻らない。戻るとすれば100年後、その記憶を持った人がいなくなる時だろう。そして街並みが戻った300年後にまた大津波の被害を受ける。そうしてまた巨大な堤防を作り、100年後に街並みができる。

 我々は、何時までも脳に記憶にとどめることはできない。人間の寿命程に生きれば生きる程その記憶は風化し、記憶と言えるものは断片化していく。そして肉体が消滅すればそれで記憶は消滅する。

 3年前、我々が多くの物を失った。それは目に見える物のほかに多くの見えないもの、絆を失ったのである。震災の後、盛んに絆という言葉が使われたが、果たして本当の絆が生まれたのだろうか?多くの偽りの絆が消えて行った。本当に日本人の心にその絆は定着しただろうか?

 人は、逆境に耐えることで精神が鍛えられる。それは深層に刻まれていた忘れた何かを呼び起こす。遺伝子情報に刻まれた耐えそして反発していく心である。逆境に有った人たちが持つ一つの支えである

 

 しかし、3年も経てばその生まれたエネルギーも枯渇する。それに対して回りができることはそのエネルギーを補給して上げることである。目に見える物資でそれを補う事が出来るが、それが全てでは無い。やはり目に見えない何かを周囲が忘れず与え続けることしかない。

 そのためには、やはり忘れてしまわない記憶が必要である。できるならあの震災の映像を見ることができる人には見せるべきだろう。忘れてはならない記憶を呼び起こすためには避けては通れない方法だと思う。